【第531回】  顕界から幽界へ その1

合気道で技を掛け合いながらいろいろな人と長年稽古をしてきて見えてくるものの一つは、先ず、人はみんなそれぞれ違っていて、誰一人として同じではないということである。そして次に、それぞれ違っている人にも共通点があり、そしてその共通するものによって、その違いなどはなくなってしまうようだということである。

合気道の相対での形稽古は、まずはじめは前項の、相手を違うと見ている稽古をしている。相手は体が大きいとか、腕っぷしが強いとか、気が強そう弱そうとか、動きが俊敏だとか等々と見て、力んだり、こわごわ稽古をしたり、敬遠したり、等相手にとらわれた稽古をする。

これは合気道で云うところの顕界の稽古ということになる。見える世界の稽古をしているのである。だから稽古は力の稽古、魄の稽古になる道理なのである。
勿論、魄の稽古、力をつけて体をつくる稽古は大事であるから、顕界の稽古も一生懸命にやらなければならない。それが次の、見えない世界の幽界の稽古の土台になるからである。

これはこれまでにも書いてきたことであるから、次に進まなければならない。つまり、どうすればそれまでの顕界の稽古から幽界の稽古に入っていくことができるかということである。

先ずは己の稽古を振り返ってみればいい。腕力や体力で技を掛けても、相手だけでなく自分自身も満足しないものである。その気持ちを大事にし、それではどうすればいいのかを探究しなければならないのである。武道の伝統もあって、それを恐らく誰も教えてくれないだろうから、自分で見つけていかなければならないだろう。

そこで先述の「違っている人でも共通点があり、その共通するものによってその違いはなくなってしまう」に戻る。その共通するものを「心」といっていいだろう。「心」で稽古相手と結び、心で相手を導くのである。見えない世界の稽古に入るのである。これが見える世界の顕界から見えない世界の幽界への入り口であろうと考えている。

次回は、更に顕界から幽界へ入っていくためにはどのようにしていけばいいのかを書いてみたいと思う。