【第530回】  息、呼吸、阿吽の呼吸 その2

前回は、息づかいの始めの段階で、「縦と横の呼吸、腹式呼吸と胸式呼吸、十字の呼吸、イクムスビの呼吸、火と水の呼吸等々」を先ずは身につけなければならないと書いた。息の土台づくりである。
これまでの呼吸は云うならば、開祖が云われる「自分の呼吸」ということになるだろう。

この初歩の段階をベースにして、次の段階、次の次元に進まなければならない。
この後の次の段階の呼吸には、開祖が云われている、「地の呼吸と天の呼吸」「天の呼吸即ち日月の呼吸、地の呼吸即ち潮の干満」、「理の呼吸」、そして「阿吽の呼吸」等があるはずである。

呼吸は非常に大事なのである。それを開祖は、「呼吸、合気の理解なくして合気道を稽古しても合気道の本当の力は出てこないだろう。」と云われている。

そこで今回は、「阿吽の呼吸」を研究してみたいと思う。この研究の基も開祖のお言葉である。
「技は、すべて宇宙の法則に合していなければならない。宇宙と結ばれる武を武産の武というのである。武産の武の結びの第一歩はひびきである。五体のひびきの槍を阿吽の力によって、宇宙に拡げるのである。五体のひびきの形に表れるのが「産(むすび)」である。」(合気真髄 P86,87)
また、「武産の武の阿吽の呼吸の理念力で魂の技を生み出す道を歩まなくてはならない。」

このことから、合気道の技は宇宙と結び、五体を阿吽の力(阿吽の呼吸の理念力)によって宇宙にひびかせ、そして五体に響かせると出てくると云われているのである。因みに、「むすび」とは、相反する二種類のものを合致させることによって新しい物を生み出していく力、ということである。

そこで「阿吽の呼吸」ということである。「阿吽の呼吸」とはどのような呼吸なのか、何故、重視されるのかを、自分なりに解釈してみたいと思う。
まず、「阿吽の呼吸」は、ただ単に、「ア」と「ウン」と言ったり、息を出し入れしても、武道の呼吸にはならない。合気道で云う、天の浮橋に立った状態で、「ア」と息を入れながら、口中を大きく膨らませ、その息を「ウン」と腹や地に落とすのが「阿吽の呼吸」であると考える。体と心、そして顔も天の浮橋である。植物の心を見たり、お日様を見る素直な顔と心持でなければならない。

「阿吽の呼吸」で「ア」と口に息を満たすと、息と気(力、エネルギー)は腹や腰などの支点を動かさずに、そこを中心に、上と下の双方に更なる気と力を流し、天と地をつなぐ一本の軸(槍)になる。また、地の足から、体重の力が地にどんどん落ちていくが、その下への力を止めたり、逆流させることなく、アの阿吽の呼吸は、更に下への力を増幅しながら、上への力を呼び出すのである。
さらに、気と力は横の前後左右に満ちて、己の体を包む。
「阿吽の呼吸」で四股を踏むとこの感覚が分かりやすい。

そして「ウン」で口中に満ちた息と気を下腹と地に返すのである。
天と地、宇宙に繋がっていく呼吸ということになるだろう。

通常の息づかいでは、力は一方方向にしか出せないし、出ないものである。この「阿吽の呼吸」により、力も天と地の両方向に働くのである。
「阿吽の呼吸」と「イクムスビ」の息づかいと合わせてやれば、技の効果は大きく変わる。天地投げでも、入身投げでも、この阿吽の呼吸をイクムスビでやれば、受けの相手は上(天)に浮き上がってくる。