【第53回】 思想を技に、技に思想を

年を取ってくると自分の人生がだんだん見えてくる。人生観もはっきりしてくるし、自分の思想もできあがってくる。高齢者になってから合気道の稽古を始めた人は別として、大体の人は高齢になるまで合気道の修行を長年続けてきた人ということになろう。

合気道の稽古は勝ち負けを勝負しているわけではなく、自己練磨ということであるが、やはり稽古相手にその成果を認めてもらいたいと思うのが人情であろう。何故ならば、一般的に人が何か行動をおこすのは人に認めてもらうためとか、納得させるためである。それをあまり意識しなくとも、技をやった結果、相手に納得してもらえればうれしいものである。逆に自分のかけた技に相手が納得しなければ、場合によっては争いになってしまうこともある。

相手が納得する技とは、まず、合気道にかなった動きでなければならない。パワーではなく、所謂、呼吸力を使い、肩を貫(ぬ)き、体をねじらず、手足を連動し陰陽で使うなど基本的な動きにのっとったものでなければならない。

次に、合気道の思想、哲学に即したものでなければならない。つまり、その技の中には真善美がなければならない。手足をめちゃめちゃに使って、美しさに欠けていれば、真でもないし、善でもないことになり、相手はたとえ押さえつけられたとしても納得しないだろう。

三つ目は、自分の思想、人生観、価値観などが、技に表現されていなければならないだろう。長年生きてきた中で培ってきた思想を、技とむすびつけるのである。愛、平和、健康、他人に迷惑をかけない、共生、・・・等々の自分が大切にしている思想を技とむすびつけてそれを技で表現できれば、相手は納得してくれる。思想と違った技をしたり、思想のない技では説得力に欠けることになる。

従って、技は自分の思想、人生観、価値観の表れということになる。技を見ればその人の思想、人生観、価値観が分かってしまう。よほど注意して技を見せないと、自分の浅はかさを暴露することにもなりかねない。思想も哲学もない、ただの力で技をかけられても、相手は納得しないはずである。

相手が納得しないときは上記の何かが欠けているはずである。相手のせいにしないで、何が欠けているのかを真摯に勉強すべきである。高齢者の合気道は、思想を技に注入し、また、技が思想を表現できるように稽古したいものである。