【第53回】 高天原

開祖は、大道の合気道を行うには、高天原の意をより理解しなければならないと言われている。高天原とは何かというと、宇宙の姿であるという。しかし、高天原はどこにあるのかというと、諸説あるようだ。

まず、一般的には、「八百万(やおよろず)の神々がいるという天上界」であるが、この他、「神話は作られたものであるから、そこに出てくる高天原がどこにあったかなどと考えること自体が無意味である」とする説。「高天原は神の住まう場所であるから天上に決まっており、それ以外の場所を考えるのは不遜である」とする説。「神話は何がしかの史実を含んでおり、高天原も日本や大陸に実在したものを反映している」とする説。新井白石の説が代表的なもので「神とは人である」とする。

しかし、開祖は、「高天原(タカアマハラ)は自分にあるのです。天や地をさがしてもタカアマハラはありません。タカアマハラを天や地に尋ね求めるより、まず自己に尋ね求めることです。」と言われている。

宇宙は、ポチが現れて以来いろいろなものを創り出してきた。また、人もいろいろなものを創り出してきた。火も道具も無かったところから、今では望むものはほとんどなんでも創れるようになった。それも止まることを知らぬように、より強力な、より高度な、より高品質な、より精密な、より美しいものを創り出すべく突き進んでいる。

合気道でも、合気道同人は上達すべく修行に励んでいる。技が思うように出来ないとか壁にぶつかっていると、自分の中からぶくぶく沸き起こる泡のような声が聞こえたりする。これはいいとか、この方がいいとか、これはこうだとか、こうした方がいいとか等の声である。この声を神の声とか、天の声という人もいる。この声はどこから来るのか、何ものなのか。自分の中にはもう一人の自分がいる。このもう一人の自分がタカアマハラではないだろうか。自分を見つめ、宇宙の営みにむすびつけるように監視し、手助けしてくれるもうひとりの自分である。

開祖は、「高天原(タカアマハラ)は自分の中」にあり、また「高天原は造化機関である」と言われている。この声は、自分の中の造化機関である高天原(タカアマハラ)から来るものではないだろうか。大宇宙と自分の中にある高天原はつながっている。近代科学では、宇宙、宇宙空間は、原子のミクロレベルから銀河や星雲のマクロレベルまで、渦や螺旋が幾重にも重なった、いわゆるフラクタル構造、つまり「自己相似性」でできているという。宇宙で起きたことは、高天原でも起こり、高天原は宇宙万世一系ということで大宇宙ともつながっていることになる。

高天原は、大宇宙と同じであるから無限に広い、無意識の世界、深層の世界であり、宇宙が生成して以来の知恵とエネルギーが詰まっている世界であろう。
開祖は、真の武道は、宇宙のいとなみが自己のうち(高天原)にあることを観得することであると言われている。自己の高天原で宇宙のいとなみを観得して、合気道を真の武道として修行していきたいものである。