【第529回】 神様にお任せする

大先生は、生き死には神様にお任せしているから、生死にはこだわらないと云われていた。これを私は入門当時お聞きしたが、当時は、自分の命を神様にお任せするということが、どういうことなのか全然わからなかったし、また、興味もなかった。
しかし、稽古を重ねるとともに、大先生の言われたことは真実であるし、大事な意味があるということが段々と身に染みてわかってきた。そしてまた、自分も年を取り、心身も変わり、自分を取り巻く環境も変わってきたせいで、この「神様にお任せする」ということの意味の重要さが、更にわかってきたのである。

この「神様にお任せする」を念仏のように唱えるとすれば、それはただの宗教であり、合気道としては意味がない。大先生が言われた「神様にお任せする」というのは、生死は神様にお任せするから、生死など気にしないで、自分のやるべき使命を果たすために生きていくという意味であると考える。
僭越ではありますが、大先生が真の合気道の修業に入られ、神業や摩訶不思議の体験をされたのは、生き死にを神様にお任せしてからであろうと考える。

私のもう一人の先生であった有川定輝先生も、「神様にお任せする」の境地から大変身されたと考える。私は先生に40年ほど、毎週一回ではあったが本部道場でお教えを受けた。だから、先生が変わっていかれた姿を見てきたわけである。今から50年前の有川先生をご存知の方ならお分かりだろうが、先生は非常に荒っぽい指導をされていた。だから、先生の稽古時間は稽古人が少なかった。
しかし、ある時期から、恐らく亡くなられる10年前頃からだと思うが、先生の稽古指導ががらっと変わったのである。荒っぽい稽古から理合いの稽古に変わったのである。私など前の先生が指導されたやり方で稽古をしていれば、「そんな稽古をしていては駄目だ」とか、「そんなことはやっていない」とか、「それでは力(呼吸力)はつかない」等と逆に諫められるようになったのである。以前には考えられなかったことである。

有川先生とは、稽古の後、ほぼ毎回、食事にご一緒させて頂いた。ある時、何故、先生は稽古のやり方を変えられたのですか、とお聞きした。そうしたら、先生の答えは、「病気をしたからだよ」ということだった。しかし、当時は、無理した稽古をすると病気になるから、また病気にならないように、稽古のやり方を変えられたのだろうと解釈していた。

しかし、この「病気をしたからだよ」には、もっと深い意味があったのである。先生は、詳しいことは云われなかったが、病気をされたことによって、死ということを意識されたのだと思う。そして、これも推測になるが、いずれ死ぬ事になるが、それは自分ではどうしようもないことなので、あちらにお任せし、つまり、「神様にお任せ」し、寿命の続くかぎり、自分の役割、使命を果たさなければならないと考えられたはずである。そして、その使命こそ、真の合気道を我々稽古人に伝えることだったのである。だから、晩年の有川先生のご指導は、何とか少しでも真の合気道、先生が身につけたものを、我々稽古人たちに伝えておこうと真剣で、熱意に満ちたものだった。

その熱意の現れた例の一つは、先生の教えを無視し、支部から稽古に来て、自分流のやり方で、相対の下手な稽古相手に二教を掛け、そしてそのやり方を相手にごちゃごちゃ教えていたのを、有川先生は立腹され、その人に二教を掛け手首を壊してしまったのである。
壊された相手を同情するより、先生の真剣に教えようとしている気持ちが無視された、先生の無念さに同情したものだ。

昔から、人は死を意識してはじめて、真の仕事ができるといわれているが、まさにそれは正しいことだと思う。
死を意識すれば、己のやるべきことである使命を自覚できるし、集中することになる。そして寿命の尽きるまで、その使命をできるだけ沢山果たそうと、寿命との闘いになる。
しかし、死にこだわっては駄目で、「神様にお任せ」して、使命に集中しなければならない。

司馬遼太郎の『竜馬がゆく』で、竜馬が、「人の一生というのは、たかだか五十年そこそこである。いったん志を抱けば、この志にむかって事が進捗するような手段のみをとり、いやしくも弱気を発してはいけない。たとえその目的が成就できなくても、その目的への道中で死ぬべきだ。生死は自然現象だからこれを計算にいれてはいけない」と言っている。これは勿論、司馬遼太郎の言葉ということになるが、司馬遼太郎も生死は「神様にお任せ」して、小説を書かれていたことになるだろう。だから、あのような素晴らしい仕事ができたのであろう。
「神様にお任せする」、生死を超越して仕事をやりとげたいものである。