【第529回】 一人でかた

合気道は、一教や四方投げなどの形を、通常二人で技を掛け、受けを取り合って稽古をしながら精進していく武道である。武道であるということには、掛けた技で相手が倒れなければならない。技を掛けて、受けの相手が倒れなければ、技はまだまだ未熟ということになる。但し、技を掛けるのは、相手を倒すためではない。つまり、相手を倒すことが技を掛ける目的ではないのである。これは何度も書いてきたことであるし、開祖もそのように言われていることである。

要は、技を掛けるプロセスと内容が大事なことになる。技を掛ける初めから、技を収める終わりまでが大事で、それがよければ、その結果として受けの相手が倒れてくれるのである。

この技の初めから収めまでを「かた」という。形稽古とは、宇宙の営みをかたちにした技をどんどん入れ込んでいくことと考える。宇宙の法則である技を見つけ、形に取り込み、身につけていくのである。これを技の錬磨というはずである。

かたちは大事である。相手が気持ちよく倒れるような技の形は美しく、力に満ち、説得力がある。形が美しくなければ、力一杯の力は腕力や力みであり、相手を説得するものではなく、逆に争いの基になってしまいかねない。

それでは、まず、美しいかたちとはどのようなものであるかを考えなければならない。美しいとは、無駄のないことである。多くも少なくもないことである。心と体、体と息が調和し、宇宙の息と調和しながら動くことということになるだろう。どの形の部分を切り取っても、また、初めから収めまでの軌跡を見ても美しいということである。

次に、美しい形にしていくためにはどのようにすればいいかということである。
まず、通常の相対での形稽古で技を掛けて、相手が倒れるかどうか、どのように倒れるかによって、己の形を無意識のうちにある程度の判断をしているはずだから、それを意識してやればいい。自分の形を意識してみるのである。目で見るのではなく、心で意識してみるのである。そして悪いところがあれば、そこには必ず原因があるわけだから、その原因を見つけ、それを取り除いたり、必要なモノを捕捉していくのである。
相対稽古で相手を倒すことばかりに集中して稽古をすると、己の形のことなど気にしなくなってしまい、上達が止まってしまうことになる。

現実的に、相対稽古で己の形を直していくのは難しいものである。どうしても相手を意識した、相対的そうたいてきな稽古になってしまうからである。
そこで、形を少しでもよくするためには、一人での形稽古をお勧めする。一人で、正面打ち一教や入身投げ、片手取り呼吸法等の基本の形(技)を稽古するのである。はじめの内は、中々思うようにいかないものであるが、やっている内に、毎回、体が教えてくれる新しい発見があるから、何度もやっていくうちには、それなりに変わってくるものである。

晩年の本部の有川定輝先生は、たまに基本のかたを、受けをつかわずに、お一人で示して下さったが、力強く、無駄のない、美しい形であったことが思い出される

全ての形は一人でやることができる。一人でやって、ある程度の形ができるようになれば、二人での相対稽古ではより上手くできるはずである。相手が力一杯掴んだり、打っても、一人で培った形に相手を取り込んでしまえば、大体は上手くいくものである。

また、一人での形の稽古をするということは、己が中心ということになる、己との戦いである絶対的な稽古をすることになり、相対稽古で陥る、相手を意識する相対的稽古から抜け出すチャンスともなるはずである。
一人で形の稽古をすることもお勧めする。