【第529回】  心と肉体と気の調和

合気道は難しい。やればやるほど、どんどん難しくなってくる。合気道が難しい、合気道の修業が難しい理由は、いろいろあるだろうが、精進していくための目標に形がないことであると考える。目に見えないものを探究し、会得しようとしているのである。

その典型的なものの一つに「気」がある。「合気道」という名前の中にも「気」があるように、「気」はとりわけ重要であるはずだが、よくわからない。しかし、「気」がわからなければ、「気」がなければ、技を錬磨していく稽古が上手くいかないはずだから、「気」を身につけなければならないことになる。
それを学ぶための唯一の方法は、開祖が云われたり、書かれた文章を勉強し、それに沿った稽古をして、少しずつ身につけていくことであると考える。

開祖は、「人間は、心と肉体とそれを結ぶ気の三つが完全に一致して、しかも宇宙万有の活動と調和しなければいけないと悟った。」(合気神髄 P178)と云われているのである。

このお言葉をもとに、気について考えてみたいと思う。
まず、心と肉体と気の三つが完全に一致しなければならないとある。このような人間になるために、われわれは、技を錬磨する合気道を稽古しているわけである。
つまり、技が神業になるように稽古をしているわけである。神業とは宇宙の条理・法則に則った技である。神業は神様しかつかえないわけだから、われわれ凡人はせいぜい神技ということになるわけだが、そのためには、心と肉体と気の三つが完全に一致しなければならないことは確かである。一致とは調和ということでもあるが、この三つが調和することが大事であるし、これらの調和がなければ技にならないのである。特に、技を掛ける際、相手と結ぶためには必須なのである。この三つの調和がなければ、魄の稽古になったり、争いになってしまうのである。

例えば、片手取りのために、片手を出して、受けの相手につかませるが、手(肉体)は出すという心で手を出すが、手(の力)と心は、どちらが強いということなく、調和が取れていなければならないということになろう。

また、手と心だけでは、相手がつかんでいる手と結ぶことはできない。結ぶためには「気」が必要になる。手に心と息で気を流すのである。気が流れると、手と心を気が包み込み一つに溶け合ってしまう。すると、相手の接点が、磁石のようにくっつき、相手と結び、そして相手と一体化して動けるようになる。
慣れてくれば、気がどんどん出てくるようになる。引力も強くなり、指一本でも相手をくっつけてしまい、相手と一体化できるようになる。

合気道は引力の養成であると、開祖は常々云われていたが、引力の養成とは、気の養成ということにもなるだろう。