【第527回】  一つの形からも無限の技を学べるし、学ばなければならない

合気道の基本の稽古は、相対での形稽古である。形稽古でなんの稽古をしているかというと、技を練っているのである。技を練るとは、宇宙の営み・条理・法則を見つけ、技に取り入れ、技を身につけていくことと考える。

従って、形(かた)と技は異なり、異質のものである。それがわからない初心者は、形と技を混同して、形(四方投げとか小手返し)で相手を投げたり抑えようとするから上手くいかないのである。技を掛けるとはいうが、形を掛けるとはいわないだろう。

しかし、形稽古では形を通して技を練り、磨いていくわけで、その形は稽古とともに、少しずつではあろうが、技で満たされてくるはずである。そして、開祖のようになれば、形はぎっしりと、宇宙の営みと同一の技で満たされ、形即技、技即形となる。動けばすべて技ということになり、自由自在、無限の技が出てくることになるわけである。

合気道の形稽古で稽古をしている基本の形はそれほど多くない。真剣に2、3年も稽古をすれば、一通り覚えてしまうほどであろう。しかし、基本の形を覚えたから、稽古はこれで十分だなどとは誰も思わないだろう。私など、半世紀も稽古をしているわけだが、例えば、四方投げ等何回やっているか。数万回はやっているはずであるが、十分稽古したとは思ったこともない。

形をくりかえして稽古するのは、形を覚えるためではなく、形を構成している技を身につけることにある。技は宇宙の営みを形にしたものであり、法則性がある。宇宙は広大無辺、時空を超えているから、無限の営みと法則があることになる。従って、技も無限ということになるわけである。

この無限にある技を身につけて、宇宙と一体化するのが合気道の目標といわれているわけだが、それほど多くもない形で、無限にある技を身につけていくのは、よほどその気にならないと難しいだろう。どうしても、自分の得意とする技ややりやすい技でやってしまうからである。

一つの形、どんな形にも技はつまっている。その形につまっている技を見つけだし、会得していくべきである。十字や陰陽などという基本的な技をベースに、更に技を見つけ、加えていくのである。新しい法則、技を会得すれば、形も変わってくることになる。例えば、逆半身の片手取り四方投げでも、技が増えてくれば、10や20の形ができるだろう。一教でも二教でも、いろいろな形でできるようになるものである。

勿論、一つの形から無限の技が出るようにするためには、基本ができていなければならない。基本がしっかりしていれば、後は、法則に乗った技によって、自由に技がでてくるものである。

一つの形でも無限の技が出、無限の形になるように学んでいきたいものである。