【第524回】  イクムスビのムは一体化の息

合気道の技は法則に則っており、理合いでつかっていかなければならない。また、技はイクムスビ(生産び)の息づかいで掛けなければならない。
これを開祖は、「日本には日本の教えがあります。太古の昔から。それを稽古するのが合気道であります。昔の行者などは生産びといいました。イと吐いて、クと吸って、ムと吐いて、スと吸う。それで全部、自分の仕事をするのです。」(合気神髄P101)といわれている。この自分の仕事をすることの中に、技をつかうことも含まれているわけである。だから、合気道の技もイクムスビでやらなければならない。

このイクムスビを、技をつかう際にどのようにつかうのか、そして、また、イクムスビの息づかいのそれぞれに、如何なる働きがあるのかを研究してみたいと思う。

  1. まず、イと吐くが、これは天と地の縦の呼吸、腹式呼吸である。このイと息を吐きながら、相手と接して、相手と結ぶのである。この結びがなかったり、弱ければ、相手は以前同様に自由なので、頑張ったり、離れたりと悪戯をしたりすることになったりする。先ずは、イと息を吐いて相手と結ばなければならない。何事も最初が肝心である。
  2. 次に、クと息を吸うが、これは胸式呼吸による横の息である。この横の息は火の息とも云われ、強烈なエネルギーをもつと同時に、自由であるといわれる。速くも遅くも、強くも弱くも自由自在にできるのである。このクの息に合わせて、相手の心と体を引力で吸収し、己の円の中に取り込み、相手を己の分身としてしまうのである。
ここまでは、これまで書いてきたことであるが、この次のムと吐く息づかいについて書いてみたいと思う。
  1. ムと息を吐く。これは縦の腹式呼吸になるが、1のような息づかいではない。はじめの内は、ここで1のような息づかいをしてしまうので、下ろした手などが相手とぶつかってしまったりして、相手は倒れてくれないものである。
    ここでのムと吐く息は、「一元の神の気を吐く」のだと開祖は言われているのである。一元の神の気とは、「一元の神の大み心」「愛」ということになるだろう。「結局は一元の神の大み心をこの世に現せばよい」ということだろう。つまり、ここでムと吐いて相手を倒すのではなく、この愛の息によって相手が自ら倒れるようにするものと考える。

    このムの吐く息の息づかいは微妙である。徒手での手刀の素振りでも、また、剣の素振りでもそうだが、息を吐きながら振り下ろしても、手や剣は十分に働いてくれない。何かに引っかかり、邪魔されるのである。これは、相対稽古で技を掛けて、ムで息を吐きながら相手を投げたり、抑える時に上手くいかないのと同じである。

    先ずは、ムと一元の神の気を吐き、その後に切り落すと、手も剣も十分に働いてくれるものである。

    この3のムの息づかいで、相手との真の一体化ができるようだ。相手の重力は消えてしまい、相手の心体は浮き上がり、無重力状態になり、心も体もこちらと一体化するのである。
    これがさらに進むと、宇宙との一体化にもなっていくのではないかと思っている。
因みに、次の4のスは息を吸いながら、相手から離れて間合いを取ることになり、次のビの5のビーイのイで1に戻ることになると考える。