【第524回】  「気」を身につけるために

合気道や武道の達人、名人の前に立つと、威圧や風圧、光りや熱を感じたり、心の底まで見透かされているように感じたり、また、勝ってやろうとかいう競争意識も消し飛んでしまうものだ。その典型的な例は、開祖植芝盛平大先生であり、有川定輝先生であった。開祖や有川先生の手をつかんだり、触ると、吸い付いてしまい、離れないし、離そうとしたくなくなるのである。引力が非常に強いということである。

「気」ということがまだ十分わかっていないが、これが「気」というものではないかと考える。とすれば、このような「気」を身につけるためには、どうすればいいのかということになる。
やはり、大先生の教えに従って研究し、身につけていくほかないだろう。大先生は、『合気真髄』や『武産合気』でそのためのヒントを書いて置いて下さっているから、それをもとに考えてみたいと思う。

<ヒント>
○「全大宇宙というのは全部火と水にて一杯つまっている。この火と水の交流によって、気というものが出来る。人が呼吸しているのも、水の交流による。火と水が一杯つまっているから世界は動き、ものは活動する。人間でも、魂と肉体があるから言葉をいう。そのように目に見えざる魂の根源と物質の根源の交流によって、目に見えざる世界をつくったのです。」(『武産合気』 P.109)

このことから、「気」は火と水の交流によってつくりだされることになる。
宇宙での火とは、目に見えざる魂の根源であり、水とは、物質の根源ということになる。
また、人においての火とは、以前から書いてきているように、呼吸の引く息であり、水は吐く息である。
従って、人が「気」を作り出すためには、火と水の呼吸が重要になる。火の息で息を吸い、水の息で火を消すように息を吐いて、一元の神様にもどすのだと云われる。
また、火と水の交流は、息の十字の交流でもある。縦の息→横の息→縦の息、つまり、腹式呼吸(縦)と胸式呼吸(横)の十字の息づかいである。この十字の息づかいを「イクムスビ」というのだろう。

○「△は気にて力を生じ、また体の三角体は破れざる丈夫(ますらお)の姿勢を具備さすべく、この鍛錬により光と熱と力を生ず。これ、みな修練者の引力により来る。引力は修練者の天地自然の絶対愛の感得、愛善熱の信行により来るものなるべし。」(『合気神髄』 P52)

ここでは、体を△(三角)につかえば「気」が生じ、力も出るということである。心をまるく体三面に開く三角体を鍛錬していけば、気が生じるだけでなく、光と熱と力を生じるというのである。
また、この光と熱と力は、修練者の引力により来るということだから、「気」が生じてくると引力も生じることになる。そして、その引力の強さや質によって光と熱と力の生じ方が違ってくるということになる。
更に、この引力を得るためには、宇宙を創造し、生成化育している一元の大神様の絶対愛を感得しなければならないし、その愛善熱を信じ、そして実行していかなければならないということになるだろう。

○「宇宙の理を悟って神人合一、人は神と気を合し、世の初めに神習いて武を興すという一念により武の気魂が現れる。武の一元の始めでもある。
次に光と熱との二つが現れるに至って、その行は天地日月の理にかない、水火の活力神妙の理を明示する。宇宙の精神をもって言霊の姿も現れて常に内的にも外的にも誠の道をもって教え、道に住して天地を相和すことを要する。武の気の内流は宇宙の気と合し、現幽両界に練り合って内的を現わし、真の勇知愛親の御姿を現す。その徳は真澄の鏡の御徳を現わし正邪を写し、よくすべてを射照する。」

ここではまず、宇宙の理(宇宙の意志、営み、条理・法則など)を悟って、神と一体となって、神と気を合わせ、宇宙の経綸の御教えに、神習いまして日々、練磨していくことによって、武の気根が現れるというのである。この武の気魂の現れが、武の始め、つまり土台ということになろう。
次に、前段で書いたように、光と熱が現れるという。天地日月の理にかない、水火の活力神妙の理にかなった行をすることによって、それが生じるというのである。また、宇宙の精神をもつ言霊の姿も現れてくるという。すると、「気」は体の中を内流し、そしてこの武の気の内流は宇宙の気と合し、真の勇知愛親の御姿を現すという。従って、ここで己の中の内流の「気」と宇宙の外流の「気」が一緒になり、宇宙との一体化となるのだろう。
また、「気」がこの段階までくると、所謂、真澄の鏡となり、正邪を写し、よくすべてを射照するという。人の心の正邪を写したり、心を読むことができるようになるわけである。

このような開祖の教えを信行していけば、「気」を身につけていけるはずだと思う。