【第52回】 自己に尋ね求める

技や秘術を本や文献などで探すのもいいが、まず自分に尋ねることである。
現代は情報社会ともいわれているように、いろいろな情報が流れており、また、豊富な情報をもっている人が評価される傾向がある。もちろん合気道でも知識や知恵としての情報を持つに越したことはないが、情報を持つだけでは不十分である。合気道では、言ったことは技や動きで示すことができなければならないし、やったことは理論化できなければならないと教わっている。従って、情報と自己、理と動きは、一体となっていなければならないことになる。

技がどうしても上手くいかない場合、本やビデオなどで分かる場合もあるだろうが、ほとんどの問題には答えてくれない。学校の教材のように解答集があるわけでもないから、諦めてその問題を放置するか、または安易な自己流の解決策を作り出してしまいがちである。

合気道は、宇宙万世一系の理(ことわり)である。つまり、宇宙万有の根源ができた時と繋がっているはずであるから、すべて理で出来上がっているわけである。われわれ人間が小賢しく考えたり創作しなくとも、すでにあるはずの理を探し求めればいいだけなのである。合気道の「道」とは「理」である。この「理」を合気道の技を通して求めているのである。そして、理は人の中にすでにあるはずだという。

合気道では、自分が宇宙と一体とならなければならないとしている。それはとりもなおさず高天原と一体となれということである。開祖は、その高天原は天を探してもなく、自分にあるのだから、タカアマハラを天や地に尋ね求めるより、まず自己に尋ね求めることだ、と言われた。(武産合気)

宇宙は自分の中にある。宇宙の生成、動きと一致する合気道の技や動きの理も自分の中に内在しているはずである。後は、どれだけ深く自分を掘り下げて自分の求めているものを見つけることができるかである。これは、なかなか容易なことではないが、たとえ意識して見つけられなくとも、無意識の世界で見つかるかも知れないし、顕界で駄目でも、幽界の自分の中に見つかるのかも知れない。

合気道は真の武道である。「宇宙のいとなみが自己のうちにあるのを感得するのが真の武道なのであります。」(武産合気)人はものごとを外に求める習性があるが、合気道の世界では自己に尋ね求め、自分のうちに感得しなければならない。