【第512回】  神人合一を目標に

合気道の修業の目標は宇宙との一体化である、と教わっている。宇宙の営みと一体となり、宇宙の条理に従い、宇宙の法則に則って生きることである。つまり、これは神になるということである。合気道は神になるために修業しているということになる。

これを、開祖は「修業は、神人合一を目標にするものなり」(「合気神髄」P159)といわれている。

この目標を達成するために、また、近づくために、技の形稽古を通して、宇宙の営みに近づくべく、宇宙の条理・法則を身につけるべく、修業しているのである。だが、これは容易なことではない。一つずつその条理・法則を見つけ、技で試し、試行錯誤を繰り返しながら己の身につけていかなければならない。

だが、宇宙の条理・法則は無限にあるだろうし、人の命はそのためには十分でないから、神になることなど凡人には不可能かもしれない。

しかし、初めから神になることを諦めてしまうのは面白くないだろう。まず、合気道をつくられた開祖植芝盛平翁は神になられた、といえるだろう。人が神になったのである。このことに希望を持つべきである。自分が神になれなくとも、合気道をいま修業している、またこれから修業する誰かがなれるかもしれない。

神になることを初めから諦めるのではなく、挑戦することである。それが、合気道の真の目標に向かう修業であると考える。今、できなくともよい。大事なことは、その目標に近づくことである。一歩でも二歩でも神に近づいていけばよい。どこまで近づけるかは、才能と努力と運によるだろう。

修業は、真の目標をもたなければならない。目標がなければ、道ができない。目標がなければ、合気の道がないことになり、合気道にはならないだろう。合気の道でなければ、合気の道から外れる外道に陥ってしまうことになる。

神になるためにはどのような修業をしなければならないか、を開祖は親切に教えて下さっている。「宇宙の条理・法則を知り、条理や法則を意識しなくなるよう修業せねばならない」といわれているのである。そして、「天国の天人は、天国の何たるかを知らず、天人その者が天国であるからである」(同P159)と教えられている。

この教えに則って、神に近づくべく、修業をしていくしかないだろう。