【第507回】  天地の呼吸

かつて初心者の頃、合気道も技もよくわかってない時期だったが、開祖が示された技を見る時に、不思議に思ったことがあった。最近、思い出したのであるが、晩年の有川先生の技でも、開祖の技と同じように不思議に思えたものである。

それは、受けが打ってこようが、受けに手を取らせようが、開祖や有川師範は相手を弾くことも、相手から切れることも、離れることもなく、常に相手に結んでいて、受けの相手はくっついて離れない、ということである。そして結局、受けは開祖や師範の思うままに導かれてしまうことになるのである。

そして今、これこそ我々が求めている合気の技である、と思うのである。だが、漠然と稽古を続けていても、そのような技がつかえるようにはならないだろう。そのためにはやるべきことをきちんとやり、それを一つ一つ積み重ねていかなければならない、と考える。

まずやらなければならないことは、腕力、体力などの魄主体の稽古から心や呼吸主体の稽古へ、また自己主体の技づかいから宇宙の力など自分以外の力をお借りしたり、それと一体化する稽古へと変えていくことだろう。

自分の力に頼って手足を振り回して技をつかえば、必ず相手を弾いてしまったり、相手との接点が離れてしまうことになる。また、受けの相手を納得させるような大きい力、良質の力も出ないし、それにあるところからは劣化していくはずである。

さらに、体を十字、陰陽など、宇宙の営みと一体化するようにつかうことである。また、息も縦横十字につかわなければならない。これらのことは、これまでに何度も書いてきた通りである。

ここまでできるようになれば、基本技はある程度できるようになるはずである。つまり、自分がかけた技に、自分も少しは満足できるようになるし、受けの相手も納得するようになる、ということである。そして、合気道の技をつかっている、という実感を持つことができるのである。

しかし、それでも開祖や有川先生のように、相手の手などの接点を離さず、相手をくっつけたままで技を収めることはできないものだ。実際、正面打ち一教などで受けの手を切り下しても、受けの手は打ち下ろした手から離れないばかりか、誘われるように、浮き上がってくっついてくるのである。

この秘密が、最近解けたようである。それは、開祖の教えの中にあった。つまり、答は既にあったのだが、気がつかなかったというより、未熟で理解できなかったのである。

それは「天の息と地の息と合わして武技を生むのです」(『武産合気』P.76)という言葉である。この極意の言葉を、誰にとっても最も難しく、また極意中の極意技と思われる正面打ち一教で説明することにしよう。尚、ここでは、受けは右手で打ち込むとする。

相手が打ち下ろしてくる手を、こちらは息を吐きながら、右の手刀でおさえる。(ここで相手を三角に捌いている)同時に、前の右足に体重がかかるから、その体重が相手との接点の手刀にもかかることになる。手刀は、相手の手首や腕に密着したままである。

今度は、腹から吐いている息を切らないようにし、続けて胸式呼吸で横に息を入れる(吸う)。そうすると、足底から己の体重(これは多分、気といってよいだろう)が地底にどんどん降りていき、そして、腰腹から大きいエネルギー(気)が天へ昇っていく。すると、反対側にある手が上へあがっていくのである。

つまり、大きいエネルギー(気)が腰腹を中心にして、地と天へ降り昇りするのである。降りるエネルギーと昇るエネルギーの長さ・幅・量などは、上下で同じようであり、また、それは息の入れ方によって調整できる。これを、天地の呼吸というのだと感じる。

そこで、相手の手に己の手刀を密着したまま、前足に重心がかかったところで、息を胸式呼吸で横に入れる。すると、右側のエネルギーが地へ降りていくと、同じ左側のエネルギーが上へあがってくる。体のエネルギー(体重)は下へ降りるが、上がってくるエネルギーを手に入れ込めば、体が下に沈めば沈むほど、手は上がりやすくなることになる。

これが、受けの手が吸い付くように密着する秘密なのである。これが「天の息と地の息と合わして武技を生む」ということではないか、と実感する次第である。

この天地の呼吸がよくわかる稽古として、木刀の素振りがある。素振りをゆっくりと大きく、そして、呼吸にあわせて振るのである。息を入れながら木刀を頭上に振りあげたら、ここで息を吐きながら脇を開き、また息を入れながら木刀をさらに上げる。(慣れてくれば、ここまで息を入れながらやってもよい)この時、前足から後ろ足に移った足元から、体重(気)が地底に降りるようにするのである。上と下のエネルギーのバランスを取るように調整し、今度は息を吐いて、木刀を振り下ろす。つまり、息を入れたり出したり、呼吸で木刀を振ることになる。これが、天地の呼吸で振るということであろう。