【第501回】  年を取るのもいいもんだ

今の日本は、ますます高齢者社会になっている。人口に占める高齢者の割合がどんどん増えているし、高齢者の寿命も長くなっているのである。

これまでにどこの国も歴史上、経験したことがないことであり、高齢者を多く抱える国は相当にとまどっているようだが、高齢者本人たちもとまどっているようである。かつては政府も国民も、平均寿命を60才、65才と予測して、年金や社会保障を計算し、定年まで働けば退職後は楽しい人生が待っていると期待していたのが、思い通りには行かず、高齢者は今、いろいろな問題を抱えるようになっている。

社会も、高齢者が増えることにより、年金や医療費が増え、それが若者の負担になるということで、問題になってきていて、高齢者としては気が引けるところである。せいぜい、少しでも若者のため、社会のため、人類のためになるように生きていかなければならない、と思っている。

若者、社会、人類のためになるよう、高齢者にできること、やらなければならないこととは、高齢者になってよかった、高齢になることはすばらしい、そして、年を取ることがよい、というメッセージを彼らに発信することだと考える。それを若者が知れば、年を取ることを楽しみに、一生懸命に勉強したり、働くと思うからである。定年後に楽しみがなければ、若者は一生懸命に勉強したり、働く意欲もなくなるだろう。

要は、高齢者は若者にそうなりたい、そうしたいと思わせるような生き方をしなければならない、と思うのである。

例えば、高齢者はそれぞれいろいろな経験を積み、知恵を持っているわけだから、それを後進の若者に伝承するのもよいだろう。私の場合は合気道であるから、合気道の知恵を後進に残そうと思っている。これは年を取った者の仕事であるし、知恵を継承した後進が高齢者になった時に、次の後進への仕事となるはずである。一代の高齢者が伝承を怠れば、その知恵は永遠に消滅してしまうかもしれないから、高齢者の役割は大きいことになる。他の分野でも、同じであろう。

次に、高齢者は、年を取ることは悪くない、ということを若者たちに伝えなければならない。それに、若者にはまだできない事だが、いずれその番が必ずくる、ということも伝えておくのである。

最近「年を取るのもいいもんだ」と思っていることを、いくつかあげてみよう。

  1. 以前、読んだ小説の筋や内容を忘れてしまっていることである。若い内なら、記憶力が衰えたと嘆くところだが、高齢者にとってはいいもんである。なぜならば、一度読んだはずの小説であるが、また楽しく、あたかも買いたての本のように読めるのである。従って、だいたいは家に置いてある本を読めばいいので、新しく買うこともほとんどなくなり、経済的でもある。
  2. 若い頃は映画も数多く見たし、テレビでも「寅さん」とか「刑事コロンボ」などはほとんど全シリーズを見たはずである。今でもそのシリーズを楽しみに見るが、有難いことに筋の大半は忘却の彼方であるので、いつも初めて見るように楽しめる。記憶力のいい、頭のいい若者は、一度見たならば忘れることはできないだろうから、お気の毒なかぎりである。
  3. 年を取ってくると、目が悪くなってくるものだ。近くの小さい字が見えなくなってくるだけでなく、かすんだ上に二重三重に見えるようになるのである。しかし、これもいいもんだ、なのである。
    例えば、財布の中をのぞくと、お札が思っている以上に沢山あるのである。1枚でも2,3枚に見えるし、2,3枚なら5,6枚には見えるのである。年を取って目が悪くなったお陰で、お金持ちになった気分になれるのである。
まさに「年をとるのもいいもんだ」だろう。高齢者万歳である。