【第499回】 逃げない、気でよける

合気道の稽古は、一般に受けの相手がつかんだり、打ったりして攻撃してくるところを、取りが技をかける、というのを交互に行う相対稽古である。受けを取る側は攻撃する役であるから、時には激しい攻撃を加えたり、取りが技をおさめるまでにスキがあれば、容赦なく攻撃を加えてもよいことになる。

しかし、技をかける役である取りは、特に初心者であれば、受けの体力や腕力、あるいは攻撃を恐れたり、警戒して、相手から、また、相手の攻撃から逃げてしまい勝ちである。

長年稽古をしている古参の稽古人でも、技をかける際に相手が思うように動いてくれないと、前進すべきところを後退してしまうことがある。これも、逃げといえるだろう。

しかし、合気道は「逃げてはいけない」のである。そのためには、まずは気の体当たり、体の体当たりで技をかけろ、と教わっている。初心者はここから始めるのがよい。いうなれば、突貫小僧になれ、ということだろう。気持ちを相手に思いきりぶつけ、そして、体をぶつけていくのである。これで、気持ちと体ができるし、相手の心の動きや相手の体の中心もつかめてくるはずである。

次に、逃げないためには、逃げるとはどういうことか、どうすれば逃げなくなるのか、を考えなければならない。

逃げるとは相手を意識していることであり、自分と相手を対照的に、比較して見ることである。これは、駄目だと思ってしまって、無意識のうちに腰が引けたり、相手の攻撃してくる線や動線を避けてしまったりするのである。

ということは、相手と一体化すれば、逃げる必要はなくなる、ということである。まずは相手と一体化することであり、相手を己の分身にしてしまうのである。技をかける際には、相手と接した瞬間に、相手と結んで一体化しなければならない。

だが、さらにその前の相手と対峙した瞬間に、相手と結んで一体化するのである。そのためには、相手と心で結ばなければならない。これは誰でも容易にできると、開祖は次のようにいわれている。「・・・には大いなる修業がいる。しかし心を結ぶには三月で足ります」(合気神髄 P.159)

開祖がいわれる「愛の構え」で、攻撃してくる相手と心を結ぶと、相手の心が見えてくる。たとえば、強く持ちにいこうとか、早く打とう、等々である。相手の心がわかって、相手の心と己の心が一つになると、逃げる必要もないのである。

相手から逃げないためには、相手の体の中心と己の体の中心である腹どうしの結びを切らない事と、相手と結んでいる心の糸を切らない事であろう。

ただし、相手がこちらの思うように打ったり、つかんだりしてこないこともある。結んである動線を、意識、無意識でずらして打ったり、突いたりしてくるわけだが、その場合も腹と心の結びを切らず、そして、体と心が逃げずに、心で相手を導くことである。これを、開祖は「気でよける」といわれているのだと思う。気というのは己を包んでいる着物である、といわれているから、その気、つまり、そのエネルギーの力でコントロールし、よけるということだろう。

逃げないために、相手の腹と己の腹が初めから最後まで結びついているためには、常に己の腹の前に相手の体が来て、十字に収まらなければならない。ただし、四つに組むのではない。体を十字、陰陽につかった結果、己の腹の前に相手の体がくるようにするのである。四つに組んでしまうのは、陰陽、十字の体のつかい方が不十分であるということになる。

腹の向き、腹のつかい方は、逃げずに技をかける際に大事であるが、道場の外でも、腹の役割の重要さを感じることができる。それは、大勢の人が行き交う街中を歩いている時である。

対向者をよけようとすると、逆にお見合いしてしまったり、ぶつかって混乱するものだが、それを防ぐには、ぶつかりそうな対向者の腹に己の腹を向けて結んでしまうのである。そうすると相手はその結びの線の動線を外して進んでくれるので、こちらでよける(逃げる)必要がなくなり、スムーズにすれちがうことができるのである。

己の腹を対向者に向けることは、心も相手と結ぶことになるのだろう。