【第499回】  合気剣

合気道の稽古の基本は、素手、徒手である。合気道では、剣や杖などの得物をもって相手を攻撃することはない。ただ、受けが得物をつかって、取りを攻撃することはあるが、それは取りが攻撃に対するための稽古の前提であるからである。

しかし、合気道の動きや理合いの多くは剣からきていると思われる。『合気技法』で二代目道主は「合気の動きは剣の理合であるともいわれているほど、その動きは剣理に則している」(「合気技法」 P.44)といわれているのである。

それが最もわかりやすいのは、正面打ちや横面打ちなどであろう。その攻撃法と、攻撃に対する動きは、剣の理合いそのものであろう。

また、合気道で技をつかう際には、手を剣のようにつかわなければならない。これを先代道主は「徒手における合気道の手は、剣そのものであり、常に手刀状に動かしている」(「合気技法」 P.44)といわれ、手を剣のように使わなければならない、といわれているのである。

これは剣と合気道は関係が深いということであり、誰もが道場で剣や杖を振り回す稽古をしたくなるのもそのためだろう。

われわれも若い頃は剣や杖や槍などの得物を素振りしたり、打ち合わせて稽古したものだ。しかし、開祖に見つかると、いつも大目玉をもらったものである。だから、大先生が居られるときは、得物は差し控えたのだが、当時はなぜ稽古人が剣を振ると開祖に叱られるのか、理解できなかった。

もちろん、開祖の目の届かないところでは、剣の素振りや打ち合いなど自主稽古していたし、先輩からもいろいろ教えて頂いた。合気道で上達したければ、剣や杖を振り込まなければならないのである。

開祖からは、合気道は武道の基本である、とよく聞かされていた。つまり、武道に必要な要素が合気道にはある、ということである。そして、それは間違いないだろうと信じている。なぜならば、開祖のところには武道界の一流の方々が内弟子になったり、入門したり、わざわざ合気道を学びに来ていたからである。しかも武道界だけでなく、スポーツ界(レスリング、野球)や芸能界(日本舞踊)など、武道に関係ない方々までも学びにこられていた。

剣道からも一流の方々が合気道を学びに来られたわけだから、剣道が求めているもの、剣道だけでは気がつきにくいもの、身につけにくいものを合気道に求められたのだと考える。

合気道を長年稽古してくるとわかってくるが、合気道で稽古をする技は宇宙の営みを形にしたものであり、宇宙の条理・法則に則っているので、その技を身につけるためには、心体をその宇宙の法則に則ってつかわなければならない。しかし、剣道や他の武道などではそこまでの教えはないようなので、合気道にそれを求めて来られたのではないかと思う。

開祖は、合気道の動きに剣を持てば「合気剣」になる、といわれていた。合気道を稽古していれば、剣も使えるようになるというわけである。

しかし、初心者はこれを誤解したり、安易に考えてしまうようである。合気道を稽古しているのだから、その手に剣を持てば「合気剣」になる、と思うようであるが、決してそうではないのである。

「合気剣」になるためには、やるべきことがある。まず、先述の「徒手における合気道の手は、剣そのものであり、常に手刀状に動かしている」にあるように、手刀を剣のようにつかって、しっかり技をかけていく稽古をしなければならない。手刀をしっかりつかうとは、手刀が折れ曲がったりしない、気が通っている、などということである。そしてまた、刃筋を立ててつかうことでもある。

次に、ここからが合気道の本領であるのだが、手刀をつかうと同時に、さらに、その延長線上が剣であると思い、素手でも剣があると思って技をかけるのである。

さらに、合気道の技の基本的な法則である、手足を陰陽、十字に、息に合わせてつかうのである。後は、切っ先に力を集中していけば、呼吸力がついてくるはずである。

徒手でやるべき事を充分にやらず、合気の動き、体、力が十分できてないのに剣をつかえば、合気の理合いで剣はつかえない。逆に合気の理合いを打ち壊してしまったりと、合気の理合いの「合気剣」にはならないわけである。

それ故、先述のように、ご覧になっていた開祖に「お前たちにはまだ早い」と叱られたのだ、と理解することができる。

相対での稽古で技をかける際は、手刀を“くわし剣”にし、刃筋を通し、横、縦、斜めにしっかりと切り結び、合気の理合いの円の動きのめぐり合わせ、十字、陰陽で息と気と拍子を合わせて、技をつかっていくことである。

例えば、片手取りや諸手取呼吸法では、持たせた手で相手の腹を真二つになるように切り結び、その真横になった刃筋を今度は縦で、相手の首を打ち落とすように手刀で切り結ぶのである。

このようなことができてくると、手が剣としてつかえるようになり、そして、呼吸力もどんどんついてくるようになるから、本格的な稽古に入るような気がしている。ここに剣をもって、合気道の徒手での動きをするのが「合気剣」であると考える。