【第498回】  受けと受身を大切に

合気道の稽古法は、民主主義、平等主義、平和主義であり、すばらしいと思う。相対稽古で互いに技をかけたり、受けを取ったりするが、古参や新参、先輩や後輩などに関係なく、右左、裏表4回ずつ公平に技をかけ、受け身を取っていくのである。

入門当初は、形を覚えていない事もあって、受け身を取りながら形を覚えていくのだが、これは受け身を取りながら、合気の体をつくっているのである。従って、初めは受け身を取ればとるほど後で生かされてくるので、受け身は大事なのである。

受け身の取り方で大事なことは、できるだけ素直に受けを取ることである。素直に受けをとるということは、相手のかけた技になるべく逆らわず受け身を取ることである。四方投げや小手返しなどの投げ技に対しても、また、二教や三教などの抑え技にも、よほど乱暴な先輩は別として、相手についていくように努めるとよい。極限まで我慢して、体の部位を伸ばしてもらうのである。数か月も鍛えてもらえば、二教も三教も痛くなくなるはずである。

力まず、がんばらずに、素直に受け身を取っていくと、先輩の相手の動きが分かってくるので、基本の形を覚えていくことになる。投げてもらいながら、相手の先輩の動きをよく観察し、自分の技をかける番になればその真似すればよい。

このような初心者の段階では、誰でも受け身を大事にし、素直に取っていることだろう。しかし、段が上がってくると、受けよりも相手に技をかける取りに稽古の重点が移っていくので、受け身を大事にしなくなるようである。

それにはいろいろな理由があるだろう。一つには、受けと取りの双方ともに一教や四方投げなどの基本の形は身につけているのだが、取りは受けの相手をなんとか倒そうとするようになる。しかし、形で相手を倒すことはできないということが分かってないので、受けの相手とぶつかり、力んでしまう。受けの側でも受け身が取れなくなってしまうし、受け身を取ろうという気もなくなるのである。

二つ目は、人の性で少しでも楽をしようとすることである。特に年を取ってくると、その傾向が増大するといえよう。受け身を取るのは結構しんどいので、大先輩など相当実力のある方に対しては素直に受け身を取っても、後輩とか力不足の相手の受け身には手を抜く傾向がみられる。

何年、何十年と稽古していても受け身は大事であり、大切にしなければならない。また初心者の取りに対しては、受けで技のつかい方や体のつかい方を無言で教え、導いてあげるようにしなければならない。初心者の相手が少しでもよい技をつかえるように、理合いの受け身を取るのである。

自分のためにも、受け身は大事である。技は法則に則っているので、法則に則った動き、体のつかい方をしなければならないが、その法則で技をかけるのは容易ではない。そこで、まずは受け身もその技の法則に従って取るのである。

例えば、足を右、左、右と陰陽で規則正しくつかうことである。取りでは難しいが、受けだとやりやすいものである。足がうまくいけば、次は手、そして手と足と、会得していけばよい。まずは受け身で理合いの動きを覚えるのである。

技を永遠に錬磨していくわけだから、受け身でも技を錬磨していかなければならない。合気道では技をかける取りと受けを取る受け身は半々であるから、技をかける取りだけに力を注いだのでは、稽古の半分が無駄になってしまうことになる。

特に、年を取ったり、段が高くなり、人に教えるようになると、受け身を取らなくなる傾向があるようだ。稽古を続けるかぎり、受けと受け身を大切にしていきたいものである。