【第498回】 手先のもう一つの働き

合気道は技を錬磨しながら精進していくのだが、その技は主に手でかけていく。そのためには、体の中心からの腰腹の力を手先に通し、手先と腰腹を結び、腰腹からの力を手先に集中して、腰腹で技をかけることになる。手先には相当な力が集まるので技がかかり、相手が倒れることになるのであり、そうなるように鍛錬しなければならない。

受けの相手に多少強くつかまれようが、打たれようが、手が折れ曲がったり、押し込まれたりしないようにしなければならない。また、技をかける際に手先に力が集まったら、集まった力が戻らないように、相手に力を通していかなければならない。基本的には、相手との接点に力を集中したり、接点で相手を導くことである。

稽古を積んでくると、手先に力が集まって、けっこうな力が出るようになる。そして、受けの相手もだんだんと倒れるようになってくる。

そのまま稽古を続ければ、手先からの力がさらに強くなって相手が倒れる、と思って稽古することになるだろう。だが、次は逆に、手先に力を加えれば加えるほど、相手にがんばられて倒せなくなるものである。

例えば、相手に胸をつかまれる胸取りである。一教でも二教でも同じだが、特に「胸取り呼吸法」はそれがわかりやすい。つかんでいる相手の手をなんとかしようと、手に力を込めて技をかけようとするだろうが、相当な力の差があれば相手を制することはできても、手に多少力を入れたくらいでは技にはならないだろう。かえって相手をがんばらせるだけになってしまう。こちらが手に力を込めれば込めるほど、相手はがんばるものである。

相手ががんばるのは、こちらが法則違反をしているからである。人は法則違反には非常に敏感なもので、無意識のうちに反応するのである。

その法則とは、@まず、手先や手の力よりも胸の力の方が強いから、手ではなく胸からの力を使った方が断然よい、ということである。せっかく胸をつかんでくれている手を、わざわざ自分の手で引きはがして、手で技をかけようとすると、胸の力が使えないだけでなく、胸を手として働いてもらうための稽古にもならない。

合気道の稽古のすばらしさの一つは、相手につかまれたり、ふれられたところを手としてつかい、その部位を活性化していくことである。

A 次は、相手との接点をはじめに動かしては駄目、ということである。この場合の接点とは相手がつかんでいる胸であるから、ここを動かさないで、他の箇所を動かさなければならない。

この場合は胸取りなので、胸を手としてつかって技をかけなければならないのであるが、その胸をつかうことができなくなってしまう。胸が相手との接点で、また支点であるから、胸をつかうためには、その接点・支点を変えればよい。そこで、相手がつかんでいる胸のそばにある己の手を、相手の肘の内側に置いて、そこを新たな接点・支点とするのである。

ここは新たな接点・支点となるから、ここを動かしてはならない。従って、ここで手先に力を込めて相手を倒そうとするのは、法則違反で間違いということになる。相当力がある人でも、「胸取り呼吸法」など胸取りがうまくいかないのは、ここに原因があると考える。

相手の肘の内側が新たな接点・支点になったら、次は、前の接点であった胸を動かすことができるようになる。肘の内側に置いた手を支点として、胸を相手に寄せたり、外旋したり、内旋したり、自由につかうことができるのである。

ただ、相手が胸をつかんでいる手が離れないよう、そして、己の体重が己の胸に集まるように、注意しなければならない。

なお、上に置く手には力はこめないが、それ以上の力をつかわなければならない。おそらく、それが「気」であろうと思う。

これまでは手先に力を込めて技をかけてきたわけだが、次は手先に力を込めてはいけないのである。これも、合気道のパラドックスである。それまでと逆な事をしなければ、上達はないのである。

今回のテーマをまとめると、手先にはもう一つ大事な働きがあり、それは新たな接点・支点をつくる、ということになる。