【第484回】  己の心を尊重

50,60才はまだまだ鼻たれ小僧であり、自分のことも世の中の事もよくわからないものだ、といわれてきた。ようやく70才半ばまできた今、それが少しずつ分かるようになってきたし、まさにその通りだと思う。

70数年といっても、あっという間に過ぎてしまうようである。豊臣秀吉の「夢のまた夢」という心境とともに、いろいろな事があったと、考え深いものもある。

そして、それらの経験や体験、学んだり教わったりした知識などが、今の自分をつくり、己の人格、個性をつくってくれていると思える。近所の子供たちと山や川で遊んだこと、学校で勉強したり、遊んだり、居眠りをしたりしたこと、さらに海外生活の体験や、帰国しての厳しい会社勤め、自発的な失業、海外と関係ある仕事等の一つ一つが、比重の差はあろうが、それらのすべてが今の自分をつくり上げていると実感する。

もちろん50年以上やっている合気道からは、多くの事を学んでいるし、己の生活、己自身に占める割合は相当なものがあろう。

合気道でも、先述の日常生活の己と同様、開祖をはじめ、多くのすばらしい先生方に、それぞれ個性的な稽古法や考え方等を教わった。いろいろな先輩とも稽古したし、同輩とも思う存分に力一杯の稽古をやってきた。敵をやっつけるための柔術的な稽古、相手に息を上がらせるのを目標にしたスタミナ稽古、相手に負けないための腕力、体力やスピードに頼った稽古、木刀や杖の素振りや組打ちの稽古、居合、手裏剣の真似ごと等々、若い内にやりたいと思った稽古は一通りやって来た。

年を取ってくると、それまでやってきたことが集大成されてくるようだ。やって来たこと、経験したことが、活きてくるのである。つまりは、無駄なことなどないようである。

若者や合気道の後進には、子供、青春期、成長期に、己のやりたい事をできるだけやるようにしてもらいたいと思う。やりたい事を数多くやるか、やりたい事を深く探究していくか、または、その両方の組み合わせである。馬鹿な事をやった、と後でおかしくなることもあるだろうが、後悔はないはずである。

その一例を紹介しよう。学生時代に合気道を始めた頃、食事に興味を持ったことがある。道場に同じように食事のことを研究している先輩がいたので、二人でいろいろ考えて試してみた。まず、食べ物というのは、栄養があるものを最小限取るのがよいだろうということになり、それなら、赤ちゃんが飲む粉ミルクだろうということになった。赤ちゃんは粉ミルクだけで生きているからである。そこで、体によいといわれる黒パン少々と粉ミルクをコップ一杯ずつ、朝晩飲んでいたが、腹がすいて稽古に力が入らず、一週間ともたなかった。

それから、桜沢式の玄米食を始めた。しかし、玄米食は炊き方、咬み方がめんどうだし、その上、桜沢式の食事は水を飲んではいけないということで、稽古で喉が渇くとうがいをするだけと苦しかった。

その内に、西式健康法というのがあり、朝、水を一升飲むのが健康法であるということを知った。そこで考えたのは、水を飲んではいけないという教えと、水を飲めという教え、つまり対照的で正反対の考えがあるのだ、ということである。要は、自分に合ったことをすればよいのだ、ということが分かったわけである。

さらに、その食事研究の先輩がいうには、玄米の胚芽の粉末がよいということで、毎日、通常の食事とは別に小さじ数杯を飲んで、道場に行って稽古をした。だが、オナラがプープーでるのである。それに注意していると、その先輩も同じようにプープーやっているのである。そこで、これも駄目ということになった。

そして、今度は、その先輩がニンニクの黒焼きが体によいというので、その先輩から買って試してみた。だが、何の効果もあらわれなかったので、二人の食事研究はそれで終りとなった。

お金もなかった時期に、よく真面目にやっていたものだと、今では我ながら感心する。しかし、この馬鹿馬鹿しいとも思われることをやったので、例えば、桜沢式食養の食物には陰と陽があるということで、それから陰陽に興味を持つようになったのである。

若い頃にやっていることの一つ一つの意味は、その時にはわからないだろうが、その一つ一つが己の人間形成、人格になっていくはずである。自分がやりたいと思ったことは、その心を尊重してやるべきであり、やらなければ後悔するだろう。やらなくてもよいという理由は必ずつけられるだろうが、そのような障害は突破できるはずである。

有難いことに、あれをあの時やっておけばよかったという後悔はない。やって失敗したと思うことはあるが、後悔にはならない。やりたいと思ったことをやっていなかったら、きっと後悔しているはずである。

己の心を尊重していきたいものである。