【第480回】  変わること

今や豊かになったはずの日本だが、まだ豊かでなかった頃の日本にはなかったような問題が噴出しているように思う。私が子供の頃はもちろん、大学に通っていた時でさえ、腹いっぱい食べることが最大の希望であり喜びだった。大人になったら、腹いっぱい食べられるようになろう、腹いっぱい食べられればいい、と思っていた。私や同世代以上の人たちは、そのように生きてきたはずである。

今の日本は飽食時代といわれるように、腹いっぱい食べることができるようになった。希望は満たされたわけであるが、それほど幸せのようにも見えない。みんな貧しかった時代とは違い、貧富の差ができたり、のんびり生活していたテンポが変わって、過酷な労働をするようになり、他人・他者・他国などとの競争が激しくなるなど、問題が出てきている。だが、なにかもっと根本的な問題があるように思える。それは、人としての本質的な問題である。

最近、特に気になるのは、夫婦や親子の不破や仲たがいである。また、そこまでの問題には至らなくても、夫婦や親子があまり仲良く、楽しく暮らしていないのではないかということである。貧しい時代のように、食べることに事欠くのなら、そのような問題も仕方ないだろうが、飽食をし、家や車や財産があるのに、仲良くやっていけない、というのである。仲良くやっていないとわかるのは、本人たちの話や、街を夫婦で歩く姿、レストランや喫茶店での無言の会話や態度でわかる。そして、それはまた、十分想像できることである。

なぜ夫婦や家庭の不破が起きるのを想像できるかというと、高齢者になったら変わらないし、変わろうとしないからである、と思うからである。若い頃は学校や会社に通ったりすると、黙っていても社会が変えてくれるのだが、そのような社会を離れると、社会は個人を変えてくれなくなる。

従って、高齢者が変わるためには、自助努力をしなければならないことになる。つまり、新しい発見をしたり、新しいことに挑戦したり、やりたい事を毎日深く掘り下げていったりすることである。社会のおかげで変わっていく子供や若者は、変わらない高齢者を評価しなかったり、軽視するのではないだろうか。

人が不満を感じる第一は、自分が変われないことである。無意識では変わろうとしているのだが、実際にはその努力をしていないので、己の変わらないことに対し、そして己が変わろうとしないことに対して、己自身不満を持つのだと思う。

次に、相手が変わらないのも、不満であるはずである。ずーっと変わらないのであれば、これからも変わることがないだろうし、このまま続くと思うと楽しみがなくなり、相手に落胆や不満を持つようになるのである。

なぜ変わらないのが駄目なのかというと、答えは合気道の教えにある。つまり、宇宙は138億年前から宇宙楽園建設完成に向けて生成化育をしているわけだから、宇宙に存在しているものが止まってしまうということは、宇宙の生成化育に反することになるからである。

今も103歳で活躍されている美術家の篠田桃紅は、長年生きてこられたが、毎日、違わなければならないし、そのために、今日の作品は昨日のものと違わなければならないと、次のようにいわれている。「生きている限り、前とは別のものができる。昨日と今日は違うんですから」。

そして、毎日毎日が違うから、どんどん新しいものができてくるので、「歳をとることは、クリエイトすること」であるといわれている。

ただ、決して完璧な作品はできないし、従って自分の人生を完成することもできないのだから、「生きているかぎり人生は未完」といわれている。これは、ロマンである。だから、彼女は長生きされているのだともいえよう。

大事なことは、自分を変えることである。今日の自分が昨日と変わっていれば、明日はまた変わる。100歳になったらどう変わるか、楽しみではないか。自分が変わっていけば、他のことにはあまりこだわらなくなる。力や物などの物質文明よりも、目に見えない心の精神文明に興味が移っていくはずである。

合気道の教えである魄を土台にし、魂を表に出し、魂が魄を導く社会をつくるためには、まず、合気道の稽古同様、自分を変えていくことではないか、と考える。



参考文献 『一〇三歳になってわかったこと』篠田桃紅著 幻冬舎