【第478回】  稽古の目標

合気道を始めて早くも半世紀になる。この50年はあっという間だったともいえるし、また、非常に長かったようにも思える。いずれにしても、50年間もよく稽古を続けてこられたものである。合気道を止めようと本気で考えたことはないが、多少心に横切ったことも何度かはあったようだ。

経済的な問題とか健康上、また、仕事の関係で稽古の時間などが取れなければ、稽古を止めざるを得なかったわけであるから、稽古を止める危険は常につきまとっていたともいえる。

合気道が続けられた大きい理由は、まず開祖をはじめ、多くのすばらしい先生方や先輩に教えて頂いたことである。自分もこのようになりたいと思い、多少の障害も乗り越えながら、稽古を続けてきたわけである。

開祖が昇天され、多くの先生方も亡くなられてしまった今、生前の教えと面影を追って稽古しようとするが、時間が経つとそれがどんどん薄れて、自己流になってくる危険性がある。

下手をすれば、そのまま自己流で行ってしまうところを、有難いことに、それを戒め、軌道修正して頂いたのである。もし戒めて下さる方がいなかったら、稽古を止めることになったかもしれない。

戒めをして、稽古を続けることができるようにして下さった方こそ、本部道場の有川定輝師範であった。その戒めは、「そんなことをしていると力はつかないぞ!」という一言であった。

この一言がなかったなら、確実に合気道から引退していただろう。なぜなら、自己流で稽古するということは、我流であって、宇宙の法に反する稽古なので、先へ進めないし、体を壊すことにもなるからである。

この時から、稽古のやり方を変えていこうと決心した。先ずは、それまでのやり方を捨て、そして有川先生のやり方、つまり、技づかい、体づかい、動き、体勢等々を目を凝らして見、研究した。また、有川先生の時間だけではなく、他の先生方の稽古時間でも、有川先生の戒めの意味と、どのような稽古をしなければならないのかを考えながら稽古をした。当然ながら弱くなり、下手になった。今考えると、自分との戦いの始まりだったわけである。

有川先生を目標に、稽古をすることになって、先生の示されたこと、いわれたことをメモし、記録もした。食事もよくご一緒させて頂いたので、その折にも、いろいろ教えて頂いていたようである。というのは、その当時は先生が言われていることがよく分からなかったのであるが、今、そのメモを見るとそれが分かるのである。

しかし、戒めから10年もすると、有川先生も昇天されてしまった。またまた稽古の目標が消えてしまったわけである。

それで、また新たに稽古の目標を持たなければならなくなった。しかし、有難いことに、有川先生からそれにつながるようなお話を暗に伺っていたようで、目標が持てたのである。

かって先生からは、他の武道の研究をせよといわれ、武医道道場や神道夢想流杖道道場を見に行かされ、そこでお話を伺ったり、稽古もさせてもらった。また、先生からは本を読めといわれ、また、『合気神髄』『武産合気』『合気道』『合気技法』など読んでいるかとか、あの本やこの本がよいとか話された。中には、武道と関係ないような本、例えば『日本舞踊の研究』(西形節子)はいいとのお話があったので、翌日、書店に買いに行ったものだ。

お蔭様で、今は、『合気神髄』『武産合気』を聖典として、繰り返し読んでいる。初めはチンプンカンプンだったが、だんだん解ってくるようだ。

さらに分かったことは、この聖典に合気道の稽古の目標のすべてがある、ということである。ここには、合気道を稽古する人が目指すべき目標がつまっているのである。

だから、ここに書かれていることに従って稽古し、また、この聖典に反しないように稽古していかなければならないことになる。

目標にさせて頂いた有川定輝先生自身が、稽古の目標は自分(有川先生)ではなく、開祖を目標にしなければならない、と次のようにいわれている。
「俺を目標にしないで、俺が目標とした開祖を思いながら稽古をすればいい。」(有川定輝先生追悼記念誌 七大学学生合気道連合会編)

稽古の最終目標は開祖であり、また開祖がいわれていることなのである。