【第470回】  体をムチのようにつかう

人の体は摩訶不思議であり、知れば知るほど知らないことが前より分かってくる。

合気道を通して、己の体を研究してきたし、体のつかい方も研究してきたつもりだが、どんどん新しく研究するものが出てくるのである。

合気道の技の稽古で、体とそのつかい方を知らないと、よい技はつかえない。逆にいえば、知れば知るほど、よい技がつかえることになるはずである。

最近は、力に頼る稽古をしないように心がけている。だが、力に頼らないで技をかけるのは、容易なことではない。これまでやってきた力に頼っていた魄の稽古を根本的に変えるのであるから、身に沁みついた考えや習慣を変えるのは難しいし、それまでのレベル以上の「力」を出すのは難しいからである。

そのために、これまでの魄の稽古を、一度にいわゆる魂の稽古に変えるのは難しいので、まずは、魄から魂へ行くかけ橋となる稽古をするのがよいと考える。

例えば、これまでのように小手先をつかって技をかけるのではなく、体の中心の腰腹で技をかける。宇宙の営みを形にしたといわれる、宇宙の法則に則った技づかいをする(十字、円の動きのめぐり合わせ等)。息(生産び)に合わせて体をつかう。こころで体を導き、技をつかう、等である。

そして、ここから幽界のこころ、自己の本当のこころ、つまり、魂を禊いでいくと、宇宙とのつながりができて、宇宙の力が加わるようになる、と考える。しかし、その宇宙の力を受け入れ、そして、それをつかえるように、体もさらに鍛えていかなければならないだろう。

最近、体が教えてくれたことがある。今それを稽古で研究しているのだが、それは体をムチのようにつかう、ということである。

これまでは、体を部分的につかったり、腕なども一本でつかっていたが、これは棒のような、骨っぽい体のつかい方である、といえるだろう。これは、骨と骨、関節同士がくっついて働くことによるものである。これでは、遠心力も働きにくいので、従って弱い呼吸力しか出ないであろう。

そこで、骨と骨、関節と関節のくっつきを離してつかうようにするのである。骨と骨、関節と関節の癒着を取ると、骨と骨、関節と関節の間に、それをつないでいた筋が現れ、骨同士が伸び縮みするようになる。そうすると、それまでは一本一本が棒のように働いていた手や足、そして体が、一本のムチのように働くようになるのである。

体をムチのようにつかうためには、生産びの呼吸をつかわなければならない。イ、ク、ム、スのクで、胸式呼吸によって息を入れる(吸う)と、骨と骨、関節と関節の癒着は解消され、一本のムチになる。慣れてくれば、息を入れながら、癒着箇所を自由に解消したり、強化することもできるであろう。

骨と骨の癒着が溶けると、例えば正面打ちで打ってくる手が、それまでの骨っぽい当たりではなく、ゴムのように弾力的な当たりになる。相手に手首を取らせても、これまでのように弾いてしまうのではなく、くっつくようになるのである。また、相手が手首をしっかり押さえていても、クと息を入れると、相手の手がねばりついてくると共に、相手の力を吸収してしまうようになる。

体をムチのようにつかえるようになると、相手はくっつき、離れにくくなるから、力一杯稽古ができることになる。ここから本格的な呼吸法、つまり呼吸力鍛錬法ができるようになる訳であり、合気道の稽古の主題のひとつである呼吸力の養成ができるわけである。(もう一つの主題は、気形の稽古)

呼吸力養成は合気道の稽古の主題であるが、呼吸力がある程度なければ、とても魂の稽古に入れないと考える。そのためにも、呼吸力を少しでも強化すべく稽古を続けなければならない、と考える。

体をムチのようにつかう稽古をするのがよいだろう。