【第465回】  年を取るよさ

古希を過ぎて、寿命50歳の昔だったら年を取ったなあと思うだろうが、年を取った、つまり、老人になったという気はしないものだ。日本では100歳以上が30,000人以上いるそうであるし、90歳、100歳でまだまだ活躍されている方々がおられるのだから、70歳などご老人の仲間には入れてもらえないだろう。

もちろん合気道の稽古をしていても、若い頃のように毎日、2,3時間も稽古する元気もエネルギーもなくなってきているから、年を取っていることは確かである。これは確かにちょっと寂しいことではあるが、年を取ってしまったことや、これから年を取ることを嫌とは思わないし、ネガティブにも考えていない。というより、年を取ったことに感謝しているし、そしてまた、これから年を取っていくことも楽しみにしている。

年を取ったよさは、○年を取ったことにより、自分の若い頃を見直すことができるようになった。○それによって周りの若者も自分の若い頃と比較して見ることができるようになった。例えば、自分もこんなことをやっていたな、君もがんばれよと応援する。○若い頃は、モノや力の物質文明で人やモノを見ていたが、年を取ってくると、だんだんと心で見るようになる。よい物を見ても、その形や姿の外見に感動するのではなく、それをつくった人や自然の心に感動するようになるのである。それ故、若い頃には関心がなかった自然の営みや、四季の移り変わり、生物の生滅、子供の喜怒哀楽、偉人たちの残した言葉や歌などに関心を持つようになる。○自分がわかってくる。若い頃は、自分が何者なのかなど考えもしなかったが、年を取ると、自分は何者なのか、どこから来て、どこに行くのか、等を考えるようになる。そして、これを知ってからあちらに行きたいと思うようになる。おそらく誰もが意識しないとしても、無意識ではそれを知りたいと思うようになってくるだろう。○自分がわかってくれば、わかる程度に他人もわかってくるのである。特に、自分より若い人のことはよく見えるようになる。 

これは一般的な年を取るよさであるが、合気道の世界でも年を取るよさがあるし、実際、年を取ってよかったと思う。
○腕力や体力の限界を感じてくるので、それらの魄の力に頼らない力を探すようになる。これは、若い内は難しいものだ。○元気、エネルギーなどが減少してくるので、できるだけ大事につかいたいと思うようになる。そのため、無駄なく、最大の効率をもたらす稽古をするようになる。それは、理合いの稽古である。条理、宇宙の法則に則った技づかい、体づかい、息づかいをするようになるのである。○技を錬磨していくと、宇宙の法則・条理、そして宇宙の営みが身についてくるので、宇宙規模でモノを見、考えるようになって来る。○開祖がいわれている、そして、合気道に求められている事がわかってくる。開祖の『合気神髄』『武武合気』も、年とともに少しずつ理解できるようになってくる。若い頃は解ろうとも思わなかったし、時に挑戦してもお手上げだった。○合気道の教えである、地球の万物は兄弟、宇宙の万有万物は家族ということが、実感できるようになってくる。そして、一元の本を忘れず、兄弟喧嘩、家族の喧嘩のない世の中にしなければならないと思うようになり、そのためにも合気道をますます精進しなければならない、と思うようになっている。

まだまだ中堅の武道家、合気道家であるが、これから年を取るにつれて、どのように変わるか楽しみである。

年を取ってわかったことに、もうひとつある。それは、人は変わること、生きているという実感をもつこと、ができるのだということである。これが、年を取っていく人の生きる原動力であるような気がする。

これとは逆の考え方、つまり人や、自分や、そして社会が変わらない、変われないように見える時には、自分に対し、あるいは社会に対して、反抗の行動、例えば自殺、犯罪、革命などに出るのではないかと思えるのである。

このような宇宙の宇宙楽園建設の生成化育を阻害するものを取り除いていくのが「武」であるが、武道である合気道で何とかそれらを少しでも取り除き、宇宙楽園完成にお役に立てないものかを考えるようになってきた。まだまだ今は力不足なので、さらに年を重ねなければならないと思っている。