【第463回】  おかげを頂く

合気道を始めて50年以上にもなるが、稽古はまだまだ続けたいものだと思う。未熟であるからもっともっと精進したいし、体力や気力もまだ十分あるようなので言えることだろうが、それ以上に、もっと続けたいと思うモチベーションがあるようである。

入門当時のモチベーションは、少しでもうまくなって、人より強くなることであったと思う。そのためには、人より少しでも多く稽古することだった。稽古相手との技をきめたり、抑えたり、また息を上がらせて満足していたし、そのために稽古していたようである。

このようなモチベーションで稽古していた期間が、最近まで超長く続いていたのだが、やっと稽古のモチベーションが変わってきた。それは、真の合気道を探究したい、ということである。つまり、開祖が求めておられた合気道に、少しでも深く入っていくことである。

生前の開祖を思い浮かべ、お聞きしたことを思い出しながら、合気道の聖典である『武産合気』『合気神髄』を繰り返し繰り返し読み、技に取り入れていくのである。開祖の言葉は難解であるが、繰り返し読んでいき、それを技に取り入れていくと、これこそが合気道であろうという実感を得られるようになる。それで、さらに会得しようと聖典を読み、技の稽古に励むのである。自分による、自分のための稽古であり、モチベーションである。

何かをするためのモチベーションには、いろいろあるだろう。仕事のためのモチベーションは、一般的に金銭であろう。世間での活動のモチベーションも、金銭や物品、名声、権力等であろう。

合気道の稽古のモチベーションは、その人により、また、その人の年齢や事情により違うだろうが、ひとつ確実なことは、そのモチベーションがしっかりしたものであれば、合気道の稽古は長く続くし、成果もあがるはずである、ということである。

逆に、合気道でも世間の活動と同じように、金銭や物品、名声、権力、闘争、勝負等をモチベーションにして稽古すると、合気道とは違ったものになってしまうだろう。合気道は、世俗のものとは違った次元にあるからである。

自分のための稽古をしていても、長年稽古を続けていくと先輩になり、仲間や後輩に教えたりするようにもなる。仲間や後輩が、教えたことができるようになればうれしくなるもので、これも稽古のモチベーションとなるようだ。

合気道を稽古し、人に教えることがあっても、人から何も受け取らず、黙々と稽古する真のモチベーションは何だろう。今の私のそれは、今までわからなかったことが少しずつわかってきて、この先に何があるのか、ということと、自分の技がどこまで変わり、そして最後に自分がどうなっているか、ということである。

こういうことは、金銭や物品では会得できないし、交換もできない。自分で会得していくしかないものである。だが、それを必ず会得できるという保証もない。ただただ修業を続け、そして、それをなにものかから頂かなければならないのである。

開祖は、人からは何も頂かない、と次のようにいわれている。「合気はこの道の案内者なのです。私は行ってふりかえってよければ、大神様よりおかげは頂きます。人から何も頂くものではありません。人は人で大神様からおかげを頂くのです。私は人のお役に立たせて頂いて有難い、というところにおかげを頂いています。これが合気道であり、又真の信仰です。」(武産合気)

一生懸命に修業していけば、神様からおかげを頂くことができるのである。欲にとらわれず、真の合気の道を精進することである。