【第463回】  宇宙と共に技を生み出す

合気道は形稽古を通して、技を錬磨しながら精進していく。正面打ち一教とか片手取り四方投げなどの形を繰り返しながら、その中から宇宙の法則に則っている技を見つけ、身につけていくのであるが、はじめから上手くはいかない。
はじめは、どうしても形が技であると思い、形を覚えると、形で相手を抑えたり、投げたりしようとする。形で相手を投げたり抑えるのは難しく、よほど腕力、体力がないとできないものである。

誰もが稽古している合気道の形には、宇宙の営みに則った技がぎっしりつまっているはずである。従って、合気道の形は技の塊でもあるから、名人、達人の形は技ということになる。それ故、正面打ち一教とか片手取り四方投げなどの形を技ということができるわけである。

最初は形を身につけ、その形で相手を倒そうとするが、それは己の心体、己の力だけでやっているので、限界がある。体が大きい、腕力がある人は有利であり、そうでない人は不利になる。体力や腕力のある人でも、年を取ってくれば限界に気づくだろう。これは開祖がいわれる「魄の稽古」であり、魄には限界がある、ということである。

次の段階では、己の心体を宇宙の営みに即した理合いでつかうようになる。手足を陰陽、体と息を十字、中心からつかう、等々である。この段階では、心体を効率的につかうために、宇宙の知恵をお借りすることになるが、まだ、自己の頑張りで技の錬磨をしていることに変わりはない。

己の力だけで技をつかうのには、限界がある。相手が相当に腕力や体力など魄力のある人であれば、技を持っていると思っても、まだ思うように技は効かないものだ。そこで、次の次元に進んで稽古しなければならないことになる。それは、自己の力だけに頼るのではなく、宇宙の力をお借りすることである。

開祖は「合気はいつもいう通り、地の呼吸と天の呼吸を頂いてこの息によって、つまり陰陽をこしらえ、陰陽と陰陽とを組んで、技を生み出してゆく」(「武産合気」)といわれている。

これは、天の呼吸と地の呼吸に己の息を合わせ、この息で手と足を陰陽につかい、手の陰陽と足の陰陽を合わせながら(ナンバ)、手足や体をつかって技を生み出していかなければならない、ということであろう。

息に合わせて、手と足をナンバで陰陽につかうのでなければ、技にならないということは、何度も書いているので省くことにする。大事なことは、手足を陰陽で組んでつかうことは、己の力でやっていることであり、これだけでは限界がある。だから、この限界を超越するためには、天の呼吸と地の呼吸に己の息を合わせ、その息でやらなければならない、ということである。

さて、そうすると、己の息(呼吸)に合わせる「天の呼吸と地の呼吸」がどのようなものであるか、が問題になる。長年これを考えていたものの、明解は出ていない。しかし、この時点でそろそろ己の考えを出さなければ先に進めないので、あえてこれまで考えたことを書いてみる。

天と地が呼吸しているというのは、不思議なことではないだろう。例えば、天から地へと雨が降り、降った雨は水蒸気になって、地から天へと昇っていく。天に上った水蒸気は雲になり、また、雨になって地に降る。これが営々と繰り返されている。この天と地の呼吸の強さは、大雨、台風、また、飛行機も振り回す上昇気流などで、実感できるだろう。

樹木や草花を見ても、天地の呼吸を見ることや感じることができるだろう。お日様が出ているときには、樹木はいっせいに天へ向かって、我先にと伸びようとする。葉の一枚一枚、枝の一本一本まで、天の呼吸に合わせて生きようとしている。それを見れば、相当な強さのエネルギーを感じるはずである。

次に、地の呼吸である。これを強く感じるのは、お月様が出ている時である。樹木や草花は昼間の太陽の下とは正反対に、地に向かって頭を下げている。お月様の呼吸に合わせて、眠りにつこうとするかのようである。つまり、昼の天の呼吸と夜の地の呼吸とが、一日周期の天と地の呼吸ということになるだろう。

まだよくは分からないが、この天と地の呼吸に合わせて呼吸をし、その呼吸で陰陽をつくって技をつかっていけば、宇宙が力を貸してくれ、さらなる力が出てくるのではないか、と思うのである。