【第461回】  大鵬さんに教わる

第48代横綱の大鵬幸喜さんが亡くなった。最近、白鵬にその記録を破られたが、幕内最高優勝32回を果たした大横綱である。
つい最近、現横綱の失言が問題になり、大鵬親方が健在なら云々という記事を目にしたので、改めて大鵬さんがいわれたことを見直してみようと思った。

結論からいうと、さすがに横綱を張り、32場所優勝という偉業を達せられた方だけあって、横綱であることを常に意識し、責任感を持たれていたことが伺える。また、非常に努力されたことも、改めて分かった。

今回、白鵬が審判判定に不服を述べたのとは違って、大鵬の物言いがついた一番では、後の写真判定で土俵から足がまだ出ていなかったために実は勝っており、連勝が続いたはずであったのに、審判判定に何一つ不服をいわないどころか、「横綱としてああいう相撲を取った自分が悪い!」と述べたという。

問題がある場合は、必ず携わっているみんながなにがしか悪いわけで、不鮮明な勝負をした自分にも責任があると思い、このように言われたのだと思うが、それにしても潔い。今の人たちは、何か問題が起こったら、すべて悪いのは他人であって、自分はよい、という傾向にあるようだが、これでは争いは絶えないし、裁判所も忙しくなる一方だろう。

合気道があるように、相撲道もある。大鵬さんの相撲道は「自分に勝つことが相撲道だ」であり、それは、「人生はこれでいいということはありません。人間は死ぬまで自分との闘いであり、勉強なのだと思います。」ということであった。これは合気道にも通じる言葉であるし、大先生も、人に勝つことではなく、自分に勝つことが大事である、といわれている。

また、大鵬さんは、このような名横綱になったのは焦らずに稽古をしたからだと、「今の自分がいるのは、一夜漬けでやった結果ではない。自分が生まれてきて、コツコツ積み上げたことが身になっているということです。だから『今日やった結果が3年後に出る』という『3年先の稽古』という考えがあると思います。」といわれている。

一日一日一生懸命に稽古をするけれども、その成果などすぐに出るものではなく、3年後に出るものだ、として、稽古していたのである。実際、稽古の成果などすぐには出ないもので、たいていは数年後にようやく出るようなものである。

大鵬さんは、自分が横綱になれた理由を、「横綱になったのは素直だったからです。」といわれている。合気道的にいえば、宇宙の営み、宇宙の意思に則ったということであり、気育・知育・徳育・体育・常識の涵養、真善美の追及をされていたのだと思う。その言葉通り、素直でなければ何も身につかないようだ。子供たちのような気持ちで、素直に稽古していくのが一番であろう。

さらに、己の偉大な業績、過去の遺産にしがみつかず、常に新たな挑戦をしておられ、「本当は、昔のことは話したくありません。力士生活は二十七年前に終わり、親方として新たに出発したわけですから。偉業を成し遂げたのをいいことに過去の遺産にあぐらをかいている人、よくいますよね。ああいうふうにはなりたくないんです。」といわれている。

定年退職して今は仕事もしていないのに、昔は大したものだったとか、若い頃は一生懸命に稽古して強かった、うまかったなどといっても、そんな話には誰も興味を持たないであろう。大事なのは今であり、今どうであるか、にしか人は興味を示さないものだ。

大鵬さんの言葉を噛みしめ、さらなる修業に励もうという思いを強くした次第である。