【第458回】 まだまだ中堅

高齢者の項の論文を書いてきて、もう10年ほどになる。高齢者として、高齢者のための合気道を書き続けたのだが、どうもすっきりしない気持ちがある。

確かに社会システムの中では、65歳で定年となり、年金が支給され、各種老齢サービスを受けるようになり、高齢者として区分され、扱われる。しかし、社会システムを離れて、個人とし、人間として見た場合、そしてまた、合気道修業人として己を見た場合は、高齢者というレッテルは合わないように感じるのである。

高齢者とは、いってみれば老人ということである。老人というのは、年を取ったことによって体力が衰え、体の機能が低下し、肉体的な活動はできないが、長年の経験と知恵を身につけた人、ということになるだろう。

しかし、とっくに還暦を迎えてはいるが、まだ体力的な衰えや体の機能低下が老人であるとはあまり感じられない。その上、経験と知恵はまだまだ不足しているしで、己が老人であるということがしっくりとこないのである。これは、私だけでなく、大方の高齢者が思っていることではないだろうか。

ところで、先日、人形浄瑠璃文楽の最長老で人間国宝の太夫(浄瑠璃語り)であり、昨年89才で引退された竹本住大夫(たけもとすみたゆう)さんが書かれた『人間、やっぱり情でんなあ』(文芸春秋刊)を読んで、この事がすっきりと解決された気がする。

竹本住大夫さんは、「伝統芸能の世界では、還暦なんてまだまだ中堅若手」といわれている。つまり、80歳、90歳以前は、中堅若手なのである。できあがってなくて、まだまだ修行し、精進しなければならないのである。

合気道開祖も、80歳を過ぎても昇天されるまで「まだまだ修行じゃ」といわれていたし、「40、50は鼻ったれ小僧だ」といわれていた。

それでは、80歳を過ぎて一人前になるには、どのような稽古をすればよいか、竹本大夫は「80過ぎれば、当然体力は衰えてくる。それをカバーするのは、長年の修業の積み重ねと日々のたゆまぬ稽古です」といわれている。

つまり、中堅若手の稽古をしっかりと積み重ねて、80歳を過ぎたならば、それを土台に日々たゆまぬ稽古をしていくことが、高齢者の合気之道の修業ということになるだろう。そして、その時には、高齢者、老人を実感できるのではないか、と思う次第である。