【第457回】 魄を土台にして、魂を上、魄を下にする

合気道は、力や体力の魄に頼った稽古をしてはいけないといわれるし、確かに面白くはないだろう。見えない世界、精神世界である魂の世界の稽古をしなければならないのである。

しかし、相対の相手に精神(心)で技をつかっても、相手は倒れてくれないだろう。どんなに念じても、魂(心、精神)だけで人を倒すことはできないのである。

合気道人は、誰もが力や体力の魄に関係なく、それを超越した力で技をつかいたいと思っているだろうが、できないと諦めているようだ。それで、魄に頼ってしまったり、魄に左右されてしまうと考える。

だが、合気道をつくられた開祖がいわれているのだし、実際に示されていたわけだから、その道を進まなければならないだろう。容易ではないと思うが、やるべきことを一つ一つやっていけば、魂の世界に入り、偉大な力が授けられるものと信じている。

やるべきこととは、まず合気の体をつくること、力、体力の養成である。そしてその体を宇宙の法則に則って遣えるようにすることである等。
魂の世界に入るとは、魂の稽古をすることであり、魄に頼っていた稽古を魂の稽古に振り返ることだと考える。魄を下にし、魂を上にする稽古である。

それが具体的にどのような稽古になるかというと、力や体力とはあまり関係なく相手が浮き上がって、一体化し、相手が闘争心を無くして、喜んで、また気持ちよく受けを取り、倒れてくれるようになる稽古といえよう。

例えば、どの道場でも誰もが毎回稽古をしているであろう坐技呼吸法である。腕力だけでやっても、相手を持ち上げることなど不可能であるが、魂を上、魄を下にしてやると、相手は不思議と浮き上がってくるのである。

もちろん、そのためにはやるべきことをきちんとやらなければならない。
まず開祖がいわれるように、天の浮橋に立たなければならない。心(精神)と体、出す手や息が、出過ぎない、あるいは出足りない等のバランスが取れていなければならない。

次に、息に合わせて、出している手先を、腰を十字の円でつかい、相手に持たせている手先を十字に返していく。息の中には気持ち(気)を流し、息と気で力と拍子を調節しなければならない。

ここで魄を下にし、魂を上にする稽古とするべく大事な事は、まず、魄が土台になることである。しっかりした腕、体幹が土台になるから、土台がしっかりしていなければ、魄を下にし、魂を上にすることはできない。腕が折れ曲がってしまうようでは駄目であり、魄の稽古も大事なことがわかるだろう。

次に、相手に持たせた、折れない、気が通っている手を、腰腹と結んで、切れないようにしながら出すのだが、この相手が持っている手先を動かさないで、息と気持ちで相手を動かすのである。これが、魄が土台(手)になり、魂(気持ち、心)が上になり、そして魄(手、腕力)が下になる、ということだと考える。
この息と気持ち(精神)で動かすところを、手で動かしてしまうと、魄(手、腕力)が魂の上になってしまい、従来の魄の稽古になってしまう。

魂が上になる稽古には、この坐技呼吸法が最適であると思う。それ故に、この坐技呼吸法はいつの時代、どの道場でも、毎回稽古されているのではないだろうか。
坐技呼吸法だけでなく、他の稽古でも、魄を土台に、魂を上、魄を下にする稽古をすることはできるし、すべての合気道の技の稽古でできるようにならなければならない。
例えば、私の場合は今のところ、入身投げと天地投げでこの稽古に入れるようであり、どちらも相手が浮き上がってくる。受けの相手は、手(魄)で下に抑えるのであるが、気持ち(魂)で相手を浮き上がらせるのである。

魂の稽古に入るには、まず、魄を土台に、魂を上、魄を下にする稽古から始めるのがよい、と思う。この魄を土台に、魂を上、魄を下にするポイントは、相手と結んだところから魂(気持ち、心、精神)でやる、ということではないかと考える。