【第455回】 人は晩年

年を取ってくると、若い頃とは違った価値基準を持つようになるのは興味深いことである。価値基準が変わると、それまで価値があると思っていたものに興味がなくなり、なんとも思わず見過ごしていたものに価値を見出したりするのである。

そして、人を見る目や見る箇所も違ってくる。若い頃は美人がよいとか、車や邸宅に目を奪われたりするものだが、年と共に興味が失われてくる。

合気道でも、強くて動きの速い剛の人や技に憧れ、自分も何とかそれに近づきたいと稽古していた。

昔のことを思い返すと、恥ずかしいかぎりである。馬鹿な事をしたものだ、あの時ああやればよかったのに、あれは失敗だった、等といろいろある。

しかし、後悔はあまりしない。もうやったこと、やってしまったことは、後悔しないようにしている。後悔するとしたら、恐らく、やろうと考えただけに終わったり、やるべきことをやらなかったことだろう。

若い時はいろいろ試すことで、自分を養っていくのである。年を取るということは、それらを集大成していくことだと思う。今、興味を持っているのは、人が集大成していく高齢者である。若いということは、まだ集大成できていない未熟な時代、ということになるのではないだろうか。

今、興味があるのは、80歳以上の人である。90歳、100歳で活躍されている方のいう事や書くことには、いろいろ教えられる。人は晩年になって、やっと集大成するようである。

合気道ではいろいろな先生や先輩、そして仲間に教えてもらったが、なかでも大事な教えを受けたのは、大先生と有川定輝先生である。大先生は合気道をつくられた方であるので、最も重要な教えを受けているわけであり、大先生にお会いしなければ合気道を続けることもなかっただろうし、別の人生を歩んだはずだ。もう一人の有川先生からも、大事なことを教えられた。有川先生に教えて頂かなければ、合気道と武道の世界、合気道の技、呼吸力の養成などを身につけることはできなかったと思う。

有川先生の本部での稽古時間には、入門当時から亡くなられる直前まで欠かさず出るようにしていたから、40年ほど教えて頂いたことになる。有川先生は厳しい先生ということで有名で、晩年まで先生の稽古時間に出る稽古人は少なかった。二教も三教もきっちり決められていたし、その上、当身も欠かさず入れておられた。大学でも教えておられたが、有川先生に教わっている学生には同情したものだ。

ところが、晩年になってある時期から、それまでの荒っぽさや殺伐さが消えて、理合いで教えて下さるようになった。しかし、先生の時間の張りつめた緊張感は以前以上であった。だが、稽古人はどんどん増えていった。私などが昔の有川流でやっていると、逆に先生にたしなめられるようになったのである。

先生が変わられたのは病気を患われたからということであったが、その変貌ぶりには驚かされた。それと共に、この先生からはもっといろいろなことを勉強できると確信した。

それからは、有川先生の教えを本格的に受けようとして、一挙手一動足をまねるようにした。先生はほとんど説明をされないので、先生の話に耳を傾け、目を見張ってながめた。そうすると、先生には無言の教えがあることも分かってきた。

その無言の教えのいくつかを思い出してみると、
例えば、

等々である。

人は晩年であると思う。晩年になって集大成するためには、後悔しないように、若い内から準備に入らなければならないであろう。