【第455回】 もう一つの時間

前回は、「直線的な表層時間と曖昧な深層時間」という題で、勝速日という光より早い時間があり、それをつかうためには意識の深いところの深層の曖昧な時間で稽古するようにしなければならない、と書いた。

合気道では、この時間の他にもう一つの時間があるようで、今回はそれを研究して見ることにする。

大先生(開祖)はよく我々が稽古している道場に突然お見えになり、技を示されたり、お話しされたりした。だが、技にせよ、お話にせよ、その真意はほとんど理解できなかった。今でも目に浮かぶが、大先生が木刀を手に道場に立たれ、「この剣には過去も現在も未来もすべて胎蔵されているのだ」ということをいわれた。これも当時、全然理解できなかったことの一つである。

あれから半世紀にわたって形稽古で技の錬磨をし、合気道の聖典である『合気神髄』や『武産合気』などを読んできて、合気道の技、そしてその技をつかう人は、過去、現在、未来を胎蔵して、永遠不変の大道を進まなければならない、と思うようになった。技の中にも、技をかける人の中にも、現在を永遠の内に宿し、永遠を現在の内に宿さなければならない、ということである

合気道の技は宇宙の営みを形にしたものであるから、今、われわれが錬磨している技は、宇宙の始まりという過去と結びついているわけである。もし、過去の宇宙とつながっていない事をやっていれば、過去を胎蔵せず、大道を進んでいないことになる。

また、未来の宇宙ともつながっていなければならないし、未来の宇宙を胎蔵していなければならない。未来の宇宙とは、宇宙が目指している宇宙楽園、宇宙天国である。この完成への道を進むことを、開祖は「永遠不変の大道」といわれたのであろうし、過去、現在、未来を胎蔵している道、合気の道ということになるだろう。

合気道の稽古でつかう技は、先生や先輩から教わり、そして後輩、後進に伝承していくわけだが、それをさらに宇宙創世期までもどり、宇宙楽園完成まで遡る「永遠不変の大道」、過去、現在、未来を胎蔵したものでなければならない、ということになるだろう。つまり、過去も現在も未来もすべて、己の体内に収めていかなければならない、ということである。

要は、目先の相手をどうのこうのするというものではなく、過去の人にも未来の人にも通用する、時間を超越した技にしなければならないのである。

過去、現在、未来を胎蔵し、時間を超越した技をつかうためには、その瞬間を一生懸命に稽古し、生きることである。そうすることによって、その瞬間の「現在」は過去と未来につながり、過去と未来も生きていることになる。今の現在だけや、過去にしがみつく、あるいは未来に期待する、などではもったいない話である。

人は現在にしか生きてないと思っているようだが、今という「現在」などない。今と思った瞬間に過去になってしまっているし、未来に入ってもいるのである。このことだけでも、人は過去、現在、未来を生きているし、過去、現在、未来を胎蔵していることになるのである。これをもっと伸ばし、「永遠不変の大道」にしていけば、合気の道になると考える。

しかしながら、この過去、現在、未来の時間は、いうなれば直線的な時間である。だが、合気道にはもう一つの、直線的ではない、異質の次元の、あるのかないのか分からない時間もある。

それは、顕界、幽界、神界の時間である。開祖は、この世界を自由に行き来されていたといわれている。この時間をいずれは研究していきたいと思っているところである。