【第451回】 合気道は健康法

かつて大先生(開祖をそうお呼びしていた)は我々稽古人たちによく、合気道は健康法である、といわれていた。当時は、技をかけたり、受けを取ったりして体を動かしたり、汗をかくから、それが健康ということだろうと思っていた。だが、最近では大先生がいわれた健康、健康法にもっと深い意味があることを実感している。

体の脂肪分を落とすのでメタボにならないとか、心臓や肺などの内臓の働きをよくするとか、汗をかくのがよいなど、他のスポーツや武道でもやれるような健康法は別として、合気道にしかできないと思われる健康法があることが分かってきたのである。

一つは、体の関節のカスを取り除くことである。体の関節にカスが溜まってくると、体が硬くなり、動きがどんどん鈍くなるし、技の切れも悪くなる。そして、健康にもよくない。

カスをとることは、稽古で技をかけたり受けを取る際にやっているはずであるが、あまり意識されてないようだ。

己もそうだが、稽古相手もやはり体を柔軟にしたいと思っているものだ。だから、相手の関節を伸ばしてやれば、相手は喜び、感謝するのである。特に、抑え技の一教、二教、三教などは、最後の抑えできっちり丁寧に伸ばしてあげるのがよい。

きっちり丁寧に伸ばすためには、息に合わせてやること、十字に伸ばすこと、腰で伸ばしてやること、が大事である。例えば、二教で抑える場合、相手の腕を己の手と胸・腹で挟んだら、息を入れながらまず相手の腕を上方に引き上げ、それからその腕を相手の頭の方に、息を吐きながら、腰で倒していくのである。つまり、息と体を十字につかうのである。

息と腰でやると、相手を感じることができるし、相手の限界を見極めることができるので、相手が我慢できる極限まで伸ばしてあげることができる。これが「愛」である。

この「愛」で伸ばしてあげると、相手は自分の限界まで伸ばしてもらったことに満足するので、自分自身に満足するとともに、相手の「愛」に感謝することになる。そして、相手の「愛」への感謝が、己の喜びとなり、そして、それが精神的な健康となると思う。精神的に健康になるためには、自分が何かの為に役立っていることを自覚すること、と考えるからである。

自分が受けを取る際に、相手が初心者だったり、力不足の相手の場合、己の関節を伸ばしてもらったり、関節のカスを取ったり、筋肉をつけて柔軟にするのは難しいだろうと思われるが、そう思っているとしたら、己に責任があるのである。

例えば、二教裏の受けで手首の関節を伸ばしたいと思えば、相手の二教裏の形に入っていき、相手に充分にその技をかけさせてやるのである。相手はこちらの導きに従って、その動きを覚えられるので、喜び、満足することになる。受けている己は、自分一人で伸ばすよりも、それ以上に相手が伸ばしてくれるわけだから、有難いと感謝することになる。

この場合にも、己の手首が少しでも伸びるよう、力みを取り、息をつめないよう(息を吐かない)、息を入れ(吸う)、気持を出して、相手に任せなければならない。

合気道では、強い弱いなどの精神衛生によくない勝ち負けや、上下を決める必要はなく、誰もが己の師であり、仲間であり、みんなが助け合い、協力し合っていかなければならないことを教えられている。一人では関節を伸ばすのには限界があるし、合気道の上達にも限界があることになる。相手や仲間がいることはすばらしいことで、有難いことである。

このような肉体的そして精神的な健康法を教えてくれるのは、合気道しかないだろう。これで少しは、大先生の「合気道は健康法である」に近づいたように思える。だが、おそらく大先生は「まだまだじゃ」といわれることだろう。