【第450回】 光と熱と力、そして愛

前回の第449回では次の段階として、「光る合気」になるような技の錬磨をしなければならない、と書いた。つまり、光と熱と力が生じるような技をつかう、ということである。開祖はこれを「我々は五体のひびきから光と熱と力を生じさせるような稽古をしなければならない」といわれている。

光と熱と力を生じさせるような稽古するため、光と熱と力が生じるような技をつかうためには、まず、光と熱と力とは何か、どういうことか、を知らなければならない。

一般的には、つまり、日常世界である顕界では、光は、ぎらぎら、ぴかぴかと明るくしてくれるものであり、熱は、熱く、温かくしてくれるもの、力とは筋力、体力、原動力ということになるだろう。この光と熱と力を備えている典型的なものは太陽だろう。

しかし、この太陽のような光と熱と力を生じさせるような稽古はできないし、そのような技もつかえないはずである。みんながそのような技をつかったとしたら、道場中がぎらぎらとまぶしく、熱くて仕方がないことだろう。

ということは、光と熱と力は目に見える太陽のようなものではなく、別な次元の光と熱と力であるはずである。

すると、それは目に見えたり、肌で感じる、いわゆる五感で感じられる光と熱と力ではなくて、目には見えない、五感では感じられないものであるだろう。それは、心で観え、感じられる光と熱と力である、と考える。

だれでもお日様を見ると、まぶしくて見ていられない。これは、五感の目で見るからである。しかし、お日様を心で見ると違って見えるのである。光と熱と力が、柔らかくやさしい光、やさしく包み込まれるような温かさ、生命力を与えてくれるような力・エネルギー、となる。心が明るくなるし、温かくなり、力が湧いてくるのである。

このような光と熱と力を与えてくれるのは、お日様だけではない。心で観れば、月、動物、植物にも光と熱と力があることがわかる。明るさ、温かさ、そして、力を与えてくれるものである。

また、幼児や無邪気な小さな子供たちにも、観ることができる。彼らを見ると、心が明るくなり、胸が温かくなり、この子たちのためにもがんばろうと力が湧くはずである。

植物でも、鳥や虫などを観ても、光と熱と力を感じることができる。そこから、愛おしさ、愛が生まれる。このような光と熱と力は、宇宙の心であり、上下四方、古今東西、宇宙のすみずみまでに及ぶ偉大なる「愛」ということになる。

技をつかうに際して、光と熱と力が生ずるようにするということは、「愛」の合気をつかうということになる。また、そのように鍛錬しなければならないだろう。開祖は「森羅万象を正しく産み、まもり、育てる神の愛の力を、我が心身の内で鍛練することが、武道の鍛錬である。」といわれているのである。

従って、この段階での稽古は、光と熱と力が生じる愛の鍛錬ということになるだろう。開祖は、この光と熱と力、そして愛を生ずためには、△○□の鍛練が大事である、といわれている。そして、自己の愛の念力(念波観音力)をもって、相手を全部からみむすぶのである。相手はその愛によって浄められるので、技はさらに一層効くようになるはずである。