【第45回】 宇宙の動きと調和

合気道の稽古では、誰でも目標や基準をもってやっている。それを基に、これは上手くいったとか、まだまだ駄目だとか判断して、稽古を続けていく訳である。

二教、三教の関節技だけではなく、一教、入り身投げ、四方投げ、小手返しなどでも、下手に技をかけられると痛いし、参ったという気がしないが、上手な人にやられると納得して倒されるが、痛くもなく、かえって後で気持ちがいいものだ。しかし、相手を納得させて倒すのは容易ではない。そもそも相手を倒そうとして技をかけるのでは、無理がある。倒すことに目標をおいてしまうと、相手はかならずそれを察知し反抗してくるので、争いになってしまうのである。相手が倒れるのは、技を使う上で正しい過程を経た結果でなければならない。つまり、倒れるまでの過程が大事なのである。

正しい過程で大事なことにもいろいろあるであろうが、その一つに技が自然の息吹とどれだけ合致しているか、を挙げることができよう。不自然で、人為的な技のかけ方では、相手に痛みを与えたり、ぶつかったりするため、相手を不愉快にしてしまい、相手も自分も納得することができないし、合気道がもとめているものからかけ離れていってしまう。

だいたい「自然」には、余計なものはなく、無駄がなく、シンプルである。自然にはリズムがある。季節があり、昼夜があり、潮の干満がある。人間は自然の産物であるから、自然に従って生きなければならないのである。合気道の稽古でも自然と協調してやらなければならないことになる。シンプルで無駄がない故に、人間には難しい。が、合気道の技もまた無駄がなく、つまり、多すぎも少なすぎもなくやらなければならない。自然にできれば、自然の産物である相手も共鳴してくれるはずではないか。

開祖は「合気道は、己を宇宙の動きと調和させ、己を宇宙そのものと一致させることにある。」といわれている。また、「合気道は、宇宙のいとなみが自己のうちにあるのを感得するものである。」ともいわれている。合気道の修行での最終的な目標はここにあるわけだから、自分の上達度をはかる基準は、自分がどれだけ自然に近づくことができたかということになろう。技の使い方だけでなく、息の使い方や意識も、自然や宇宙の動きと少しでもうまく調和させるように修練することが大事になってくる。