【第448回】 境界の壁をなくす

合気道は、宇宙との一体化を目指す道である。しかし、そこに到達する道は遠い。そのため、おおかたの稽古人は目標、そして、その道を進むことをあきらめているように見える。

だが、合気道の開祖は宇宙の一体化をされた方である。その開祖が、合気道の目標は宇宙との一体化である、といわれているのであるから、その道を行かなければならないと思う。

宇宙との一体化とは、どういうことなのかを考えてみなければ、その道を目指すことはできないだろう。自分なりに考えてみると、一言でいえば、己と宇宙の境界の壁がなくなり、宇宙と己とが共鳴し合う、ということでないかと思う。

物質文明社会は力に支配される社会であり、戦争や勝ち負けの競争社会である。その社会に生きるためには、自我を確立し、自己主張し、そして自己を殻で守っていかなければならない。そして、自分は自分、他人は他人であり、敵か味方か、競争相手と見るようになる。

学校に通ったり、会社に勤めたりしている時は、壁をつくったり、自分の殻にとじこもりがちになる時代、といえるだろう。その典型が、引きこもりである。道場での稽古を見ていると、そのような若い人達が殻にとじこもり、しかも、それに気づかず稽古していることがわかる。問題は、その殻にとじこもったまま高齢者になっていくことであろう。そうなると、ますますその殻がぶあつくなって、とじこもることになろう。それが、頑固ということになるのである。

殻にとじこもった稽古とは、自己主張の稽古ともいえるだろう。それは、相手のことを思いやらず、自分のために稽古することである。相手と己の間には壁があり、各々別々の世界にいるわけである。それでは、宇宙の一体化の道は進めない。

宇宙との一体化とは、己と宇宙の境界の壁がなくなり、宇宙と己とが共鳴し合う、と先述したが、そこに行くまでには、いろいろな段階や次元の修業をしていかなければならないだろう。

まずは、合気道の相対での道場稽古で、稽古相手との境界の壁をなくし、共鳴し合うように稽古しなければならない。受けの相手と一体化し、その相手が自ら喜んで倒れるような稽古、相手がいて相手がいないような稽古をするのである。いわゆる、愛の稽古である。

道場で稽古相手との壁がなくなり、共鳴できるようになると、道場の外の他人、動物、植物、自然との境界も曖昧になってきて、共鳴できるようになるであろう。共鳴するとは、かれらの思い(心よりもっと深いところにあるもの)と触れ合い、分かることだろう。そこから愛が生まれる。

共鳴できるためには、万有万物はビッグバンの元の一元の本に、すべてつながっており、人だけでなく動物の植物もすべてが家族である、ということを認識しなければならない。すると、家族愛が生まれるだろう。

壁をなくせば、生き物だけでなく、石や岩とも共鳴もできるようだ。確かに、面壁九年したと言われる達磨大師は、壁岩の思いを知り、共鳴できるようにと、九年間も壁に向かって座禅を組んでいたともいえるだろう。

このように身近なもの、出合ったものと共鳴できていけば、最終ゴールの宇宙との共鳴、一体化ができることになるはずである。

しかし、自分の体験からも、これは若いうちは難しいものだろう。社会的しがらみが無くなり、自分の殻から抜け出すことができるようになる高齢者となって、はじめてできるようになると思う。

小さい子供には壁もないし、殻にもとじこもってないものだ。それが年を取ると、蚕が繭玉をつくって入るように、殻を厚くしながら籠っていく。

だが、蚕はその殻を破って、外に出てくる。高齢者の稽古も、この蚕が殻を破って出てくるようなものである。殻にとじこもりっぱなしでは、死んでしまうことになる。生き延びるためにも、殻を破っていかなければならない。

参考文献:『日本人の身体』安田登著  ちくま新書