合気道を始めて半世紀が過ぎたが、本格的な稽古はこれからである。修業には終わりがないものであり、修業の晩年、人生の晩年こそ大事である、と思うようになった。
若い頃も自分なりに一生懸命、悔いのない稽古をしたと思うが、今思えば、非常に荒っぽい、心許ない稽古をしていた。
若い時は得意な技や好きなやり方を一生懸命にやって、不得意なものや嫌いなものは無視していた。だから、得意なものはどんどん伸びたが、不得意なものは取り残されていた。
若さによって得意なもので攻め、欠点や弱点をカバーしていたのである。若い頃は、その得意なもののレベルで他者と比べ、自分はできる、偉い、と思ったりしていたと思う。
若い内は得意なものをたくさん身につけて、それを深めていくのがよいと思う。欠点や弱点などはあまり気にならないだろうし、気にする必要もないかも知れない。
だが、年を取ってきたら、自分の実力も欠点や長所も見えてくる。だから、稽古の仕方も変わるし、変えるべきだろう。
次は、欠点や弱みをできるだけ無くしていくことである。若い頃のデコボコを、なるべく平らになるようにするのである。稽古でいえば、不得意の技を不得意でなくしたり、不得意の相手を無くしたりすることである。
諸手取呼吸法や正面打ち一教が苦手だと逃げてはいけないし、外国人など体力・腕力のある相手からも逃げてはいけない。できなくても、挑戦し続けることである。若い頃からの得意な技だけを大事にしてやり続けていては、先に進むことはできないだろう。
武道という観点から考えれば、相手はこちらの弱みを突いてくるのが当然だろう。自分の弱みを攻撃されれば終いである。だから、弱みにならないよう、その弱みの穴を埋めていくのが、高齢者の稽古ということになろう。若い時は、その得意の強みで、カバーしていたわけである。
自分の弱みをカバーし、その弱みの穴を埋めていくためには、稽古以外、つまり、日常生活でも気をつけて生きていかなければならない。稽古での弱みは人間としての弱みでもあるだろうから、日常生活から神羅万象まで学んでいかなければならないだろう。
合気道の稽古をしていけば、若い頃に興味がなかったもの、無視していたこと、価値を見出さなかったものにも、興味をもち、身につけようとするようになることだろう。
デコボコを無くし、平らにすることは必要であるが、得意なことをさらに伸ばし、深めることも、引き続きやらなければならない。デコボコを無くすると同時に、他のモノをそれに合わせるべくレベルアップする訳である。
これが高齢者の稽古、スキのないように稽古する、ということであると考える。