【第447回】 病気をなくすのが合気の道

合気道はすばらしいものだ、と最近、真から思うようになった。以前から、すばらしいものだとは思っていたが、他にも同じようなすばらしいものがある内の一つぐらいに考えていた。今は、この世の根底的な問題、つまり穢れを禊ぐことができるのは、合気道をおいて他にない、という意味で、すばらしいと思うのである。

今の世界は、国際的紛争、地域闘争、国内闘争、宗教戦争、貧困問題、大水・津波・大風・地震災害、環境問題、貧富格差問題、食糧問題、エネルギー問題などなど、多くの問題があり、また、問題はどんどん増えているようにも思える。

それぞれの問題を解決しようと、多くの人たちが闘っているのだが、思うように解決できていない。どうすればよいのか分からないのが、現状であろう。

合気道的にいえば、これらの問題は、「魄」が表になっていることに起因する、ということができるだろう。いわゆる物質文明、物質科学が表に出て、そして、人間がそれを追い求め、競争し、争い合っていることにあるのである。

ある程度の物の豊かさは必要であると思うし、それをめざして人類はここまで豊かな社会を作り上げてきたわけで、すばらしいことである。しかし、際限なくモノに頼り、モノを求めるのでは、人も社会も幸せにできない。これは上記の問題が教えてくれることである。

社会、世界の問題を解決するには、「魄」を裏に控えさせ、「魂」が表にでなければならない、ということになる。「魂」とは簡単にいえば、精神、心であろう。これまでの物質文明を、精神文明にするのである。モノに精神、心があるようにし、愛に満ちたモノにするのである。

合気道は、物質文明、物質科学から精神文明、精神科学になるべく、技の錬磨をし、禊をしているのである。これまでの腕力や体力に頼っていた「魄」の稽古から、精神や心である「魂」の稽古にしていくのである。そして、愛の武道にしていくのである。

開祖は「この世界から病気をなくすのが合気の道であります」(「合気神髄」)といわれている。病気とは、癌や風邪などの病気ではなく、気の病であり精神の病である。物質、モノ、外見などの「魄」に惑わされ、心、精神、見えない「魂」を無視したり、軽視することになるだろう。

この病気の原因は、自我と私欲の念にしばられているからだという。従って、この自我と私欲の念を去れば、モノから自由になるのである。これを開祖は「世の中はすべて自我と私欲の念を去れば自由になるのであります」といわれている。

合気道の稽古でも、自我と私欲の念、例えば、自分の強さを誇ったり、金銭やモノや名声などを得ようとするのでは、魄の稽古から脱することができず、上達はないことになる。

精神が大事である。それは、精神が肉体を導き、動かすからである。それ故、精神に気の病を起こさせないよう、遊びにいってしまわないようにしなければならない。それが合気道である、と開祖は次のようにいわれている。「精神は風波のごときものなのであります。精神に病気を起こさせず、精神が遊びにいっておるのを統一するのが合気であります」

従って、合気道の修業で己の病気をなくし、そして社会の病気をなくしていけば、精神文明が花開き、物質文明での問題もなくなり、すばらしい地上天国ができるのではないか、と考える。

引用文献  『合気神髄』八幡書店