【第445回】 改善々々

合気道は、相対で技をかけあって、技の錬磨をしながら精進していくものだが、実はこれが意外と難しいのである。相手に技をかけて、相手を倒して楽しんでいる間はよいが、その内にきちんとした技をつかわなければ、相手は倒れてくれないことが分かってくるものだ。というより、それが分からないと、本当の稽古には入れないのである。

きちんとした技とは、いつも書いているように、宇宙の条理に則った技である。そのためには、体も心も宇宙の条理に則って遣わなければならないことになる。

合気道では、主にいわゆる基本技を繰り返し繰り返し稽古していく。もう半世紀も稽古しているのだから、例えば基本技である四方投げなどは数万回はやったことになるだろう。だが、まだまだやらなければならないし、やりたいと思うのである。

なぜ繰り返してやるかというと、やればやるほど良くなるからである。それは、稽古を始めた頃と今では、全然違っていることでも分かる。したがって、数年後にはどのように変わっているか、楽しみである。

だが、繰り返し稽古をすると、なぜうまくなるのだろう。まず初心者の頃は、先生や先輩や同輩が技を教えてくれたり、体のつかい方や動き方などを直してくれるから、繰り返して数多くいろいろな相手とやれば、それだけうまくなるチャンスが増えるだろう。

高段者になれば、自分の体が稽古での体のつかい方がよいかどうか、教えてくれるだろう。しかし、体が教えてくれるのはほんの少しで、一度に山盛りには教えてくれないものだ。だから、何度も繰り返して数多くやらなければならないことになる。

だから、上達したとしても、それはほんの紙一重なのである。その上達ぶりは、おそらく他人には見えないだろう。薄紙が数年後に重なって、ボール紙ぐらいの厚さになって初めて気が付かれるぐらいのものである。

体がこれでよい、こうしなさいと教えてくれたことを土台にして、技をさらに改善していかなければならない。これは、よほど体の声に耳をそばだてていないと、聞き取れないだろう。相手を投げてやろうとか、痛めてやろうなどと考えていると、体の声は聞こえないものだ。体が協力してくれないのである。

先述のように、体が教えてくれることは小さなことに思えるかも知れないが、それを大事にしていかなければならない。例えば、四方投げをやっている時に、手先と腰腹は結ばれなければならない、のような声があったりするのである。

しかし、これは実は、四方投げに適応するだけでなく、他のすべての形(小手返し、入身投げ等)にも適応できるわけだから、無限大ともいえるような大きい教えを得たことになる。

これができるようになると、体は次のようなことも教えてくれるはずである。例えば、同じ四方投げだと、相手と結んでからでないと技はかからない、足を左右陰陽につかわなければならない、手も左右陰陽につかう、手を縦と横の円の動きでつかう、息も縦横、陰陽につかう、足は撞木でつかう、等々を教えてくれるだろう。

これら体の声を聴き、それを身につけ、余分なものを剥がしていき、技に貼り付けたり削ったりしていくのである。これを土台にして、さらに新しい体の声を聴き、技に張り付けたり、不必要なものを削っていく。これが精進であり、改善である。従って、改善には終わりがなく、永遠に改善することになるのである。