【第439回】 足はまっすぐ進め、手は円くつかう

合気道は、相対で技をかけあいながら稽古して精進するものであり、相手を倒すことが目的ではない。だが、技をかけた結果、相手は倒れていなければならない。つまり、相手が倒れざるを得ないようにもっていかなければならないのである。

倒れざるを得なくなるためには、不自然でない技づかいをしなければならない。不自然でないということは、宇宙の条理・法則に則っていることである。自然であれば、技をかけられた相手は逆らおうという気持ちの心をなくしてしまい、体も従ってしまうのである。

技の錬磨とは、この宇宙の条理・法則を身につけることでもある。自分の見つけた法則が宇宙の法則かどうかなど、そう簡単には分からないだろうが、その法則を他の人が同じようにつかって、同じ結果が出るなら、それは宇宙の法則であり、宇宙の法則に則った技、またはその可能性がある、ということになると考える。

合気道の技は手でかけるが、手をうまくつかうためには、足もうまくつかわなければならない。というより、技は主に足でかけるといってもよいだろう。手と足は同じ側を陰陽でつかって技をかけるが、体重を効率的につかうためには、足づかいが重要になる。

手のつかい方は、以前にも何度か書いている。手は、縦の円と横の円で円くつかわなければならないものである。手の縦の円とは、手を挙げてギンギンギラギラと回転する円、横の円とは、手首、肘、肩、肩甲骨、首の後ろ(胸鎖関節の背中側)などを支点とした円である。この縦と横の円の組み合わせで技をつかい、この円の中に相手を取り込んでしまうのである。

だが、この手の円の動きの巡り合わせをよくするためには、足がうまくつかわれなければならない。足の使い方はいろいろといわれている。曰く、継足や歩足、撞木(しゅもく)でつかう、また、入身と転換法、三角法、心をまるく体三面に開く、等も関係あるだろう。

しかし、これらの基本的な足づかいだけでは、実際に技をかける場合に、なかなかうまくいかないものである。だが、うまくいかないから、これらの基本的な足づかいが必要ではない、ということではない。これらの基本を身につけて、さらにプラスしなければならないということである。

ところで、正面打ち一教ほど難しい基本技はないだろう。ここ数年間挑戦し続けているが、最近、この要は足づかいにある、と気がついた。

私は幸運なことに、故有川定輝師範から正面打ち一教の極致ともいえる技を見せてもらっている。そのため、今もそのイメージを追って稽古している。さらに、先生からは「足はまっすぐ進め、手は円くつかう」とのお教えも頂いた。

正面打ち一教では、まず、足をまっすぐ進めて、相手の腕を手掌でおさえる。足をまっすぐ進めるということは、自分の腰腹と結んだ手先と足先が、相手の中心線を捉えることである。これを、有川師範は、相手の陰に入るといわれていた。そして、陰とは心である、ともいわれた。つまり、足を相手の心の中に進める、ということである。これは、気の体当たり、体の体当たり、ということにもなるだろう。

さらに、他方の後ろ足を相手に向けて、まっすぐ進めるのであるが、前足に重心があるので、後ろ足は容易には前へ進めない。この問題を解決して、後ろ足が前へ進めるためには、体重をかけている前足は動かないままにしておき、腰を外旋するのである。腰が外旋すると、後ろ足が同じ側の相手の肘にかかっている手と前に出て、相手を外旋した円の中に収まる。これで、相手と一体化することになる。

しかし、腰の内旋はよくつかうが、外旋はほとんどつかわないので、なかなかうまくつかえないだろう。これは、意識して外旋の稽古をするしかない。ふだんの歩行で稽古したり、木刀の素振りなどで意識すれば、稽古ができる。

正面打ち一教だけでなく、正面打ちの二教、三教、入身投げでも、天地投げでも、また、他の基本技(形)でも、まずは足をまっすぐ進めるのが肝心なようである。また、これがないと、技は効かないものと考える。もちろん、同時に手は円くつかわなければならない。

開祖もまた、敵の槍に取り囲まれたとしても、「進んでくる相手の心を小盾に、その真正面に立って突いてくる槍の真中心に、入身転換の法によって無事に、その囲みを破って安全地帯にでる」、つまり真中心に向かって進め、といわれているのである。

技をかけるにあたって、足をまっすぐに進め、手は円くつかう、を意識しなくなるまで、意識して稽古すればよいだろう。