【第437回】 肉体は黄金の釜

最近、ますます自分の体の摩訶不思議を考えさせられる。手をじっと見たり、顔を鏡でしげしげと見ていると、人智を離れた創作物であり、無駄もなく、欠けているところもないのである。

目玉は三つや一つではなく、二つであるのがちょうどよい。三つの目は想像するしかないが、モノが見えすぎて目に頼ってしまう事になるのではないかと考え。一つ目では遠近感や距離感が見えにくいので、目は二つ必要であろう。指が五本あるのも便利である。これが多くても少なくても、指とつながっている体のつくりや機能は大きく変わってしまうだろう。

目はモノを見る役割を持っているし、手の指にも各々の役割があるようなので、各指を大切に扱い、その機能を充分果たせるようにしなければならない。目と指だけでなく、足でも胸、肩、腰、胴、首、頭でも、じっくり見ると摩訶不思議である。なぜこんな形をしているのか、なに者が創ったのか、何のために創ったのか等々、科学が進んだといわれるが、誰も答えていないのである。だから、摩訶不思議なのである。

これら肉体の摩訶不思議に答を出してくれるのは、肉体自身であろう。これまで万能といわれている科学的手法では、この解決はできないと思う。肉体を切り刻んで顕微鏡で見ても、科学物質を組み合わせても、解決はできないだろう。少なくともわれわれ科学に疎い者にとっては、科学的手法で摩訶不思議の答を出すのは不可能である。

我々合気道同人も、これらの摩訶不思議の答えを知りたいと思い、そのためにも稽古しているわけである。合気道の教えを実験し、再現しようとしているのである。

教えによれば、人間の肉体も宇宙の意思で創られたものであり、宇宙の意思の凝縮であるという。地上天国、宇宙楽園を建設するために、万有万物は使命を持たされて、創造され、生成化育を繰り返している、というのである。

宇宙の意思でできている肉体は、宇宙の凝縮であり、小宇宙であるから、宇宙が創られた十字でできているのである。手足や首、腰など、関節同士が十字で機能するのは、宇宙創造であり、生成化育のためだという。

それは、技の錬磨で精進する合気道の稽古で、肉体をつかっていくとわかってくる。宇宙の法則に則った技を身につけた肉体を持つことによって、わかってくるのである。つまり、肉体は宇宙の理合いで創られていくのである。

宇宙の理合いの肉体ができてくると、宇宙の意思が分かってくるようになるだろう。なぜ肉体には五体があって、指は各5本なのか、関節同士が十字に動くのか、等々である。

宇宙の意思がわかってくるということは、宇宙の魂、宇宙を創造された大本の一元の大神様とつながることになるだろう。そうすれば、その大神様の意思がわかるはずである。その時は、摩訶不思議な疑問に答えてくれるのではないかと思う。

摩訶不思議の答えを求めるなら、合気道の稽古を通して、己の肉体に聴くことである。開祖は「この肉体は黄金の釜であります」といわれている。肉体から、いろいろな摩訶不思議が生まれてくるはずである。

十字に機能する肉体を、十字の息で陰陽につかえば、技が生み出される。合気道の技は、宇宙生成化育を阻害するものを取り除く武である。宇宙の意思に則っているわけだから、宇宙の応援が得られるはずである。まさしく黄金の釜なのである。