【第434回】 使命感

子供時代はもちろん、学生時代でも、会社で仕事をしていた時代でも、使命感というようなものは持ってなかった。ただ、自分がその時代時代でやるべきこと、課題は持っていたので、学校では落第しないように勉強したし、入学試験に受かるようにもがんばっただけである。

会社でもやるべき仕事は一生懸命にやり遂げようと努めた。やるべきことはいろいろあったが、それは私の場合には使命感でやったのではない。一生懸命にがんばった基となった動機は、自分のためとか、自分と会社のため等という、目先の場当たり的なことであったので、使命感に駆られてやったのとは違うと思う。

定年を迎え、仕事の第一線から退くと、これまでのように一生懸命になる目的や動機がなくなってしまうのが、一般的な現状であろう。だから、定年になったら、一生懸命になれる目的をみつけ、そして一生懸命にやるための動機づけをしなければならないことになる。

その点、われわれ合気道を修業している合気道人は、それを持っているから幸せであると言えよう。合気道には使命感の教えがあり、人は自分に課せられた天の使命によって生きていかなければならない、と教えられている。

辞書によれば、使命感とは使命を成し遂げようとする責任感であり、使命とは与えられた重大な任務であり、天職であるという。合気道では、人はもちろんのこと、宇宙の万有万物は宇宙楽園建設のために生成化育をくりかえしていて、そのため万有万物はそれぞれ使命を持っている、というのである。

その使命が何であるかを知るためには、自分をよく知ることであり、また宇宙を知らなければならないだろう。開祖は「自分は何事をなすべきか(を知るためには)、よく自分を知るということ(であります)が(それが)自分に課せられた天の使命であります」といわれている。

つまり、自分を知れば、自分は何事をすべきかわかるので、それが天から与えられた使命である、ということなのである。

この使命は、生成化育のために宇宙から与えられたものであるから、その使命に打ち勝つよう、一生懸命にがんばらなければならない。この与えられた自己の使命に打ち勝つことを、合気道では「正勝吾勝」といって、重要事項である。

もちろん、使命感は合気道人だけが有するものではなく、「使命感は、優れた人たちが持つ共通意識である」(和田昭允東京大学名誉教授)。和田教授は、『理科離れ脱却−研究への強い動機育てよ』の中で、「サイエンスマインド」を高揚させるものは、能力、好奇心、情熱・欲求などあるが、どんな分野でも、世界に貢献した人たちが持つ決定的な動機は、自分の総力を挙げて世界に貢献したいという「使命感」だ、と述べている。

若い時の合気道は、能力、好奇心、情熱・欲求が稽古の主な動機であろう。だが、高齢者の合気道は、「使命感」を持ってやるべきだろう。自分のためだけではなく、世のために、そして宇宙に貢献したいという使命感を持って、修業に励んでいくのである。


参考資料
「日経産業新聞」Techno Online『理科離れ脱却−研究への強い動機育てよ』
(和田昭允東京大学名誉教授)