【第431回】 呼吸力を養成する

合気道は技の練磨を通して精進していく、といわれるわけだが、これで十分ということはない。だから、修行には終わりがないことになる。修行が終わるときとは、体力がなくなったり、亡くなる時ということになるだろう。

技の練磨とは、宇宙の法則・条理を見つけ、身につけ、そして技に還元することと、呼吸力の養成である、と考える。それで、今回は呼吸力の養成について研究してみたいと思う。

呼吸力は誰でも呼吸法でつけているだろうが、呼吸力や呼吸法をもう少し深く考えてみよう。片手取り、両手取り、諸手取り、坐技での呼吸法は、誰でも稽古しているはずである。これらの呼吸法は、呼吸力養成法であり、呼吸力をつけるためには最適な稽古法である。

呼吸法とは、技ではない。相手を倒したり抑えるのが目的ではなく、呼吸力を身につけるのが目的である。この目的を取り違えてやると、稽古の意味がなくなり、呼吸力もつかないことになる。大変ではあろうが、受けにしっかり、力いっぱいつかませて、鍛錬しなければならない。つかませないようにしたり、力を抜くようにといって稽古したのでは、意味がないことになる。

諸手取り呼吸法や坐技呼吸法ができる程度にしか、技はつかえないものだ、と有川師範はよくいわれていた。確かに、その通りであると思う。まずは、これらの呼吸法をしっかりとやるべきである。もちろん、これで十分ということはないから、呼吸法も終わりなく鍛錬し続けなければならない。

初心者は、呼吸法をやっても呼吸力養成法にならず、腕力養成になってしまうだろう。だが、それで力がついて、体ができるのだから、一生懸命やればよい。呼吸力をつけるためには、呼吸力とは何かを知らなければならない。呼吸力が何かわからないで、身につけることなどできるはずがない。

私の呼吸力観では、呼吸力とは遠心力と求心力を兼ね備えた力で、相手をはじく力ではなく、相手をくっつけてしまう、相手と一体化する力である、と考える。この呼吸力を、合気道では「引力」といっているはずである。合気道は引力の養成ともいわれるから、呼吸力とは相手をくっつけることになる。

相手をくっつけるから、多少強い力で技をつかっても、相手が手を離したり、相手との結びが切れることはない。だから、強く大きくダイナミックに、体と気持ちをつかって、技がつかえることになる。

この段階になれば、呼吸法だけではなく、技においても呼吸力がつく稽古ができるようになる。四方投げでも小手返しでも、呼吸力がつくようになる。つまり、技の稽古においても呼吸力がつくように、稽古しなければならないのである。

従って、この段階からは、法則を見つけ、身につけることと、呼吸力の養成、引力の養成が一つになった技の練磨になることになる。