【第430回】 愛のビジネス

今の世の中は物質文明社会であり、競争社会で、いろいろな問題が氾濫している社会である。合気道的に言えば、ここまでの文明社会になるまでの多くのカスが出て、溜まっているのである。さらなる活動のために、体に溜まったカスを取らなければならないように、さらなる進化のためには、社会のカスも取り除いていかなければならない。

合気道では、万有万物の生成化育をはばむモノを取り除くのが「武」であり、その基本は「愛」である。つまり、社会やこの世の中のカスを取り除くのは、「愛」ということになる。

「愛」とは、相手の立場に立って考え、行動することであると考える。相手が嫌がらないよう、害さないよう、そして相手が喜ぶよう、満足するようにすることである。

道場で相対稽古をして技をかけあう場合は、相手を傷めないよう、だが、相手が満足するようにしなければならない。力を抜いてやさしくやればよい、というわけではない。それでは、相手に上達はない。相手を傷めないで、上達させ、多少、緊張し痛い事もあるだろうが、最後には一緒に稽古してよかった、と思われるようにしなければ、本当の「愛」にはならない。

世の中にも、このような「愛」が必要である。このような「愛」があれば、この世に争いはなくなるだろうし、住みやすい楽園ができるはずであると考える。稽古している合気道家達は、同時に仕事もこなしているだろう。そして、仕事ではいろいろな事があり、苦労もあるはずである。だが、その基本は愛である。

年を取ってくると、人を見る目が違ってくる。また、仕事や物事の処理なども変わってくる。これは、合気道の教えにもよるものだが、以前の若い頃とは正反対になる。

若い頃は、道場でもそうであったが、街を歩く人、電車に同乗している人は、自分の競争相手であり、子供や犬猫などはうるさい、邪魔な存在であった。しかし、今は、みんな仲間であり、家族であると思うようになったのである。

人、子供、犬猫などなどまで家族であると思うと、みんな一生懸命に生きている、宇宙建国の生成化育のために頑張ってくれている、だから一緒にがんばろう、というように愛が生まれる。

仕事の仕方や考え方も違ってくる。若い頃は、なるべく苦労しないで、よい結果を出そうとし、相手や他人のことはあまり考えなかった。

例えば、パーティを企画して、多くの人を招待する場合でも、以前はやれるだけやればよいと思い、自分に都合のよいようにやっていた。だが、最近は自分が多少苦労しても、お客が少しでも満足してくれるように、また、いろいろサポートをしてくれる人たちも満足してもらえるように、つまり、「愛」で仕事をするようになった。

どうするか決める場合は、自分に多少負担がかかってくるにしても、ゲストや関係者が納得したり、より喜んでくれる方を選択するようになった。そして、ゲストがこのパーティに来て本当によかったと思ってくれ、一緒に働いた人たちもよかったと思ってくれれば、それが自分の真の喜びとなるようになったのである。

自分だけでなく、一緒に働いてくれる仲間も、相手のことを考えて仕事をしてくれれば、よい結果が出るだろう。また、忙しい方々も、貴重な時間と労力をパーティにあてて下さるのだから、それに応えなければならない。それも「愛」ということになるだろう。

「愛」がなければ、本当の喜びを得ることはできないと思う。合気道の稽古も「愛」。ビジネスも「愛」。生活でも「愛」で生きていくようになれば、世の中はよくなっていくはずである。合気道家はこれを世間に、世界に、伝道していかなければならい。なぜなら、これが合気道の使命、と開祖がいわれているからである。