【第424回】 勝速霊(日)(かつはやひ)

合気道は、技を練磨して上達・精進していくものであるが、技を練磨するということは意外と難しい。それは、ただ稽古を続ければよいのではなく、上達するように稽古していかなければならないからである。

上達するためには、上達するように、やるべきことをやり、開祖の教えを守り、そして工夫して、稽古していかなければならない。

合気道の技は宇宙の営みを形にしたものであり、顕幽神三界と和合するものである、等といわれるから、空間的のみならず時間的にも、形が決まり切った固定的なものではなく、ダイナミックで、他次元におよぶ幅広いものであるはずである。

相対で稽古してかけた技で、相手が倒れないのは、相手がこちらがかけた技に納得しないからである。受けの相手を納得させるためには、かける技に、倒れるための必要要素がなければならない。

そのひとつに、速さ(スピード)がある。同じ強さの力なら、速度が速い方に威力がある。だから、技の速度をどんどん早くする稽古が必要になる。

しかし、速度が遅くなれば、それだけ地にかかる体重も重くなる。この体重の重力を手先に結んで、技につかうわけである。従って、この力を効率よくつかうためには、ゆっくり動く稽古も必要になる。

技でつかう力は、このスピードが出る横の動きからの力と、重力から出る縦の力の二つがある、ということである。しかし、この二つの力とは、速い方が大きくなるものと、逆に遅ければよいものであり、相矛盾するのである。

通常は無意識のうちに、このバランスが均衡している速度で稽古しているだろう。だが、これではさらなる力を得ることは難しいであろう。

ここからさらなる力を得るためには、まず、通常よりも速度を上げて技をつかうことである。はじめのうちは、直線的、平面的なスピードアップをやるのである。さらに、段々スピードを上げていくと、そのスピードにリズムが加わり、拍子に速度が出てくるだろう。

この速度は、直線的、平面的なものから、円の動き、そして渦の動きによるものになってくる。相手の空間的・時間的な予想を越えたものであり、顕界を抜け出した異次元の速度になるはずである。

これは横の力を増すためのものであるが、次に縦の力を増すことを考えなければならない。自分の体重を100%地に落とすには、天之浮橋に立たなければならない。天之浮橋に立つのだから、雲の上にでも浮かんでいるように軽くなる。同時に、これは重くもなるのである。生きている者は水に沈むが、死んだ者は浮く、ということを想像すれば分かりやすいだろう。この天之浮橋に立っている状態で、しかも足が揃ってしまって居つくことがないようにしなければならない。

この縦の力が出てくると、天の呼吸と一致する。そして、この天の呼吸が地の呼吸と一致し、横の動きは潮の干満と一致するようになる。

私の独善的な考えでは、これを「勝速霊(日)」といってよいのではないか、と考える。勝速霊(日)とは栄光勝利である、といわれるが、それ以外に、速さに勝る精神とか力でないか、とも考える。横の力と縦の力を得るための、極限的な高速と遅速の相矛盾する速さを身につけることである、と思うのである。

そして、この勝速霊(日)を身につけるためには、正勝、吾勝が必要となるだろう。正しさに勝ち、自分に勝つことが必要なのである。

正勝とは、技の練磨から宇宙の法則・条理を身につけることである。宇宙の法則に則ってはじめて、勝速霊(日)の技が遣えるのであって、法則違反ではそれができないのである。

吾勝とは、自分との戦いにおいてのみ勝速霊(日)がつかえる、ということである。つまり、相手を倒そうとして技をつかっても、勝速霊(日)にはならない、ということになる。

さらに、勝速霊(日)になるためには、呼吸と愛が必要であろう。相対で技をつかう際は、相手を思い、万有万物を思い、宇宙楽園建設を思って、稽古していかなければならない。また、心、精神、気持ちと呼吸で体をつかい、技をかけていかなければならない。心と呼吸には、速度の限界はない。いくらでも速くも遅くもできるのが勝速霊(日)である。

相対の相手に技をつかう際は、速度を超越したこの勝速霊(日)でやらなければならない。すなわち、速い動きの中に遅い動きの種(要素)が入っており、遅い動きの中に速い動きの種(要素)が入っているのである。はじめはゆっくり稽古した方がわかりやすいが、早く激しく動いても、いつでもその動きを止めることができるし、また、どんなにゆっくりやっても、いつでも高速に切り替えることができる。

相手によってその速度を変えても、呼吸は極限の高速と遅速を常に意識してやらなければならない。そうすれば、速度を変えることも自由にできる。

ふしぎな事に、超遅速でやると、その分、超速で動くこともできるようになるのである。また、その逆もある。これが勝速霊(日)の稽古ということになるのではないかと考える。