【第420回】 神様からのお礼

大先生も「世の中はすべて根本は経済であります。経済が安定してはじめて、そこに道が拓けるのであります」といわれているが、経済の安定は生きるためだけではなく、何かをやる場合にも必須である。

経済とはお金であり、物質であり、目で見ることができるモノである。だから、集めることもできるし、他人と比べて喜んだり、悲しんだりすることにもなり、また、争いの元にもなるものだ。

若い内は必要なものを入手するためや、いろいろな体験をするためには、お金を稼ぐ必要があるから、一時は経済が生きる目的のようになることだろう。だが、定年などで経済の社会から離れたら、違う働きや生き方をしたいものだと考える。もちろん、その場合にも、ある程度、経済的に安定していることは必要であろう。

人は何かの動機がないと、なかなか働かないもののようだ。違う人もいるかも知れないが、自分の場合はそうであった。では、目に見えるお金やモノや名声などの動機で働かないとすれば、何のために働けばよいのだろう。

これは、合気道的に考えてみれば、よいかもしれない。合気道の教えは、人をはじめ万有万物は宇宙楽園建設のために、分身分業で使命を持って、生成化育をしているという。そして、その使命を果たす事、つまり、宇宙天国のための生成化育に尽くせば、ご褒美がもらえるというのだ。

大先生は、それを大神様よりのおかげと、次のようにいわれている。
「私は行ってふりかえってよければ、大神様よりおかげを頂きます。人から何も頂くものではありません。人は人で大神様からおかげを頂くのです。私は人のお役に立たせて頂いて有難い、というところにおかげを頂いています。これが合気道であり、又真の信仰です」(『武産合気』)

誰のためでもなく、報酬を貰うわけでもないが、自分がやりたい事、やるべき事を一生懸命にやっていれば、生成化育に尽くすことになり、その内に神様からお礼が来るのではないだろうか、と考える。そのためには、神様に満足してもらわなければならない。だから、つまりは宇宙生成化育のお手伝いをしなければならないことになるのである。