【第415回】 魂を魄の表に 〜 その2

前回は、腕力や体力による魄が拮抗している状態から脱するためには、魄と異質の魂を使わなければならない、と書いた。

今回は、そのために開祖のいわれる「魄の世界を魂の世界にふりかえるのである」「魄が下になり、魂が上、表にならなければならない」とはどういうことであるか、また、技でどのようにすればよいか、を書いてみたいと思う。

「魄の世界を魂の世界にふりかえるのである」「魄が下になり、魂が上、表にならなければならない」ということが分かりやすい稽古技(形)には、呼吸法、入身投げ、天地投げ、二教裏などがあるだろう。

では、相手の魄力を制するために魂を使うには、どうすればよいのか、相手の魄力を制するとは、どういうことなのか、をみてみよう。ここでは、呼吸法(片手取り、諸手取り)で説明してみる。

相手が胴体としっかり結んだ手で、こちらの手(腕)を握ったら、よほど力の差がないかぎり、動かすことはできないだろう。持たせた手を、魄の力で上げようとしても、上がらないものである。それは、相手の魄の力とこちらの魄の力がぶつかるからである。

相手がつかんでいる手、つまり相手の力と、ぶつからないためには、相手の手とぶつかったところで、自分の手を動かさず、そこに魂(この段階では、気持ち、心、精神とする)を通して、その魂で相手に技をかけていくのである。魄(魄力、体力)を土台にし、魂で魄を導いていくと、魂に体(魄)がついていき、魂が魄に優先し、魄の表に出ることになるのである。

そのためには、息づかいの呼吸が大事である。これを、開祖は「合気道は魂の学びである。魂魄阿吽の呼吸である」「合気道はある意味で、剣を使うかわりに自分の息の誠をもって悪魔を払い消すのである。つまり魄の世界を魂の世界にふりかえるのである」といわれている。

これができるようになるためには、まず、魄の土台がしっかりしていなければならない。また、魄の体や手をバラバラに使わないこと、生産霊の息に合わせて魂で手や体をつかうこと、が肝心である。これを、開祖は「天之浮橋に立ち、舞い上がり舞い下がるところの気を動かすことが肝要です」といわれているのである。

魂で相手に技をかけると、相手は自ら浮きあがってくる。ある時点で、相手の重さはゼロになるのである。これは、呼吸法だけでなく、入身投げ、天地投げ、二教裏、坐技呼吸法などでも、同じ事である。これは、他のすべての技(形)でもできるはずである。

相手は、魄である体力や腕力などとは関係なく浮きあがるのである。もちろん双方の魂魄の力が拮抗したり、優れている相手には、難しいことだろう。後は、稽古で切磋琢磨するしかない。

ここで気がつかれたかもしれないが、魂を魄の表にするということは、相手に対しても同じでなければならない。しかし、相手の魄をこちらの魂で直接どうこうするということとは違っている。まず、自分の魂で自分の魄を制し、導くことであるが、次に自分の魂を相手の魂と結ぶのである。その結果、相手の魂が相手の魄を誘導し、相手の魄を制することになり、そして相手が自らの魂の誘導によって倒れることになるのである。

魂が魄の表になり、上になるようになれば、腕力や体力の魄を制することができるようになるし、物質文明から精神世界への転換の可能性も出てくるものと考える。そして、ここからが本格的な合気道の「魂の学び」の修行になるはずである。