【第414回】 何が大事なのか

道場で相対稽古をして気になることのひとつとして、こんな稽古をしていては上達はないだろうな、と思うことがしばしばあることである。

それは、相対の黒帯の稽古相手が技をかけて倒そうとする時、こちらが倒れないでいると、これでもかこれでもかと力で押しつぶそうとするような時である。初心者同士の稽古でも、倒すことだけを目的にやっているように思えることがある。

もちろん、技をかけたら、相手を倒すことに集中して稽古することも、一時は必要である。それで筋力、体力がつき、内臓が丈夫になり、気力ができるからである。

しかし、この倒すための稽古だけをやっていると上達は止まってしまう。倒すのではなく、相手が自ら倒れるようにならなければならないのである。もちろん、技をかけて相手が倒れなければ、その技は効いていないということになる。

技とは、相手を倒すことではない。相手が倒れるように研究することが、稽古では大事である。従って、たとえ相手が倒れなくとも、何か身につき、会得できればよいのである。それを積み重ねていけば、技も決まるようになるし、そのうちに相手は倒れてくれるようになる。

技の練磨の稽古で大事なことは、上達することである。上達とは、目標に近づくことである。そのために、例えば呼吸力をつけ、そして、宇宙の法則を一つずつ会得していくことなどがある。

大事なことを無視して稽古しても、上達がないだけでなく、体を壊したり、早期引退を迎えることになってしまいかねない。何が大事かをしっかり心にとめて、誘惑に負けずに稽古していかなければならない。

稽古で大事なことは上達することであるが、ではなぜ上達することが大事なのだろうか。それは、宇宙生成化育のお手伝いという大義があるからである。だが、その前に自分を成長させることがあるだろう。つまり、稽古では自分が成長することが大事なのである。自分の成長を邪魔するような稽古は、してはならない。それでは、上達もないことになる。

何が大事かを見失っているのは、なにも道場の中だけではない。年を取ってくると、それが見えてくるようである。それが社会の混乱や不安、若者の反抗や犯行、高齢者の不満などの原因であるように思える。

例えば、企業の多くは利益を上げればよいとばかりに非正規雇用者を多く使おうとしたり、サービス残業、賃金抑制などで極力経費を抑えようとしたりする。手段はどうでも利益をあげるのがよい企業である、と思って運営しているようである。とりわけ雇われ社長の会社にはその傾向が見られるようだが、これはまるで、前述の合気道の稽古と同じことである。相手を倒せばよいと、力ずくでやるやり方である。

技をかければ、相手は倒れなければならないが、それは相手、そして宇宙が納得する手順を踏んだ結果、倒れなければならないのである。企業も、従業員や宇宙(すべての関係者や目に見えないモノ等)が納得するやり方をやった結果として利益が上がる、ということにならなければならないだろう。つまり、それがもっとも大事なこと、ということである。だから、儲けるためにやるのではなく、やるべきことをやって儲かるようにならなければならない。そういう企業もあるわけだから、他の企業もそうなって欲しいと思う。

働き手も、働く上で何が大事なのかを自覚しなければならないだろう。少しでも楽をしようと手を抜いたり、金を儲けるためということで悪いことをしてしまえば、それがバレないとしても、自分の成長を阻害するわけであるから、意味がないだろう。

働くことも自分の人生観、つまり、何のために生きていけばよいのか、に関係するわけである。だから、自分の人生観をしっかり持ち、それに沿って仕事をすることが大事になる。

学校の勉強も、気になることのひとつである。試験の点数をよくして、よい学校に進み、よい仕事に就くために、学校に通っている。そうすると、問題と解答だけを覚え、肝心なことは勉強しないですませることになる。それでは、後で何も知らない自分に困ることになるだろうし、学生時代が意味のないものになってしまう。

点数がよいとか、よい学校、よい会社などは、国内では幅が効くかもしれないが、海外に出ればそれでは通用しない。そこでは個人が評価されるのであって、学校とか会社の肩書ではないのである。さらに、定年で仕事から離れると、国内でも同じことになる。本人はそれにしがみついて、偉いと思ってもらいたいようだが、結局だれにも偉いなどと思ってはもらえないものだ。

それよりも、学校に通っている間の、時間があって頭の柔らかい時に、勉強したり、いろいろな事を身につけるのが大事だろう。

国のことでも、気になることがある。国もお金があればよい、国民総生産GDPが大きければよい、ということだけが大事であるということはない。ある程度のお金は必要だが、お金が沢山あればよいわけではない。大事な事は、国民が幸せと思って暮らせることである。国がそのような環境をつくり、支援することである。それは、国民を考える政治、行政、司法である。合気道的に言えば、「愛」ということになるだろう。国にも「愛」が大事ということになる。

何をやるにしても、大事な事がある。その目標を見失わないようにやっていかなければならない。そうでないと、成果は上がらないし、問題を起こすことになるものである。