【第414回】 体力から魂へ

自分のこれまでの稽古のやり方を思い返したり、初心者を見たりしていると、稽古のやり方や技のやり方などはどんどん変わってきているし、また変わらなければならないものだろうと思う。とりわけ、体と気持ちの使い方とその位置関係が変わってくるのは、面白いものである。

入門したての頃は、手や腕をむやみに振り回してしまうものだ。むやみというのは、気持ち・心・意志とは関係なく、手が勝手に動いてしまうということである。気持ちと手や体の動きがバラバラなのである。

手や体の動きと気持ちが一緒に動くことの大事さがわかり、身につけるための稽古法に「転換運動法」がある。まずは、これができるようにしたいものである。

その内に、手の動きに気持ちがついて行こうとするようになり、さらに、手の動きと気持ちが一致するように進んでいく。ここまでの段階では、体が先で、気持ち・心が遅れてついていく。体が心に優先しているわけだ。木刀の素振りなど見ていると、それがよくわかる。

そして、だんだんに手の動きと心が一致するようになっていく。力が集まるようになり、大きい力が出るようになる。木刀も気合を込めて振れるようになり、なんとか格好がついてくる。技をかける場合にも、気持ちを込めて、力一杯やれることになる。

この段階では、体と気持ち・心が対等となる。この段階に達すると、往々にして反動で手を使うようになるものだ。力を出そうとして、手を気持ちと一緒につかえばよいとばかり、息とともに反動をつけて手をつかうのである。反動をつけるのはよくないが、これは次のステップへ進もうとする兆候であると考える。

次の段階は、反動でやるときの気持ちを使うのだが、手を振りまわすことはなく、気持ちについていくようになる。剣を振る場合も、気持ちで振り、剣がその気持ちに従って動くようになる。この段階では、体が心に従い、気持ち・心が体に優先する。

ここまでは、体力と気力による稽古であり、魄の稽古である。だから、時として相手とぶつかり、争いになることにもなる。力と力とのぶつかり合いの争いをなくするためにも、次の段階へと進まなければならない。

この段階で重要なことは、一つは、稽古の対象が前のように相手、他人ではなく自分自身となること、二つ目は、魄力や気力で技をつかうのではなく気持ち・心・精神(魂)で技をつかうこと、である。

そのためには、相手の前に立った時に、気持ちで相手と結ばなければならない。その結びを切らないように、力(魄力、気力、腕力)ではなく、これまで培った体力を土台にし、気持ち(魂)で技をかけていくのである。つまり、相手の魂と結んで、その魂を動かしていく、気持ちで体を導くのである。もちろん、自分の体も、自分の気持ち(魂)で導かなければならない。魂が魄(体)の上や表へと出るのである。

この段階の稽古ができるようになるためは、これまでの段階の鍛錬をしっかりやらなければならない。この段階のやり方がよいというので、やることをやっていない者がやろうとしても無理である。土台になる体がしっかりできていなければならないし、相手と結ぶために天之浮橋に立つことも必要となる。

もちろん、この段階が最終段階ではない。宇宙組織のタマのひびきである「魂」、力のもとであり、心と体を一つに結ぶ「気」、心と体によって科学されて出てくる「自己の魂」等などを研究し、身につけていかなければならない。

道は遠い。まだまだ、さらなる段階が待っている。