【第405回】 何が問題か

合気道は相対稽古で、技を練磨しながら上達していくが、なかなか思うようには上達しないものである。他の武道やスポーツのように、勝ち負けがはっきりする試合でもあれば、目標があるので上達しているかどうかなどが分りやすいだろう。だが、合気道は他者との勝負がないので難しい。

合気道でも、はじめの内は、自分がどれだけ上達しているかが分るだろう。はじめの内というのは、相手を倒すために稽古をする、いわゆる相対的な稽古の時期である。稽古仲間や先輩などに、自分の技がどれだけかかるかによって、うまくなったとか、全然上達していない、などが分るのである。

相対的稽古は、その内に絶対的な稽古に変わっていくはずである。他人を対象とした稽古ではなく、自分との闘いの稽古になる。本格的な稽古は、ここから始まるといってよいだろう。

しかし、ここからの稽古は、前の稽古と大違いで、大変である。導いてくれる指導者がいればよいが、この頃になると、指導してくれる人は周りからいなくなってくる。ここからは、自分で上達すべくやっていかなければならなくなるのである。

だが、上達するためには、誰も教えてくれないとしても、上達するための法則があるのである。ここからは、それを信じてやるしかないと考える。

法則にはいろいろあるだろうし、人によっても違うだろう。だが、その法則は合気道以外の分野にも通用するような法則ではないかと考える。

テレビで見たのであるが、成功した日本のベンチャー企業家が事業を起こす前に、多くのベンチャー企業を輩出しているシリコンバレーで、成功した企業家に、どうやってその事業のアイデイアを思いついたかを聞いて回ったのである。すると、多くの人が、「重要なのは、どんな問題を解決したいか、だよ。自分の身の回りで困っていることを探して、それを自分の技術で解決しなさい。それが自然と事業になるのだ」と述べたという。

合気道を事業にしたければ、この法則は通用するだろうし、合気道家として上達するためにも、有効であると思う。

初心者や上達に悩んでいる稽古人達を見ていると、一番の問題は、何が問題なのかが分っていないことである。問題に気がつかないか、または気にしていないのである。何が問題なのかが分らなければ、上達のしようがないはずである。

問題に気がつけば、次にはその問題の解決をしなければならないことになる。それには、それまでに培った技や術、または新たな技や術で解決していくことである。問題をみつけ、それを解決していくことで、自然に上達していくことになるのである。

上達していくにつれて分るだろうが、問題は常にあるものである。一つの問題を見つけて、それを解決したと思っても、次の問題が出てくる、という繰り返しなのである。これは、合気道家の宿命だろう。しかし、そのお陰で修行に終わりがないし、上達にゴールもなく、ゴールをどんどん高みに移動していくこともできるのである。挑戦のしがいがある、というものだ。合気道に感謝である。