【第404回】 今日は明日に、今月は来月に、今年は来年につながるように

合気道の修行に終わりはない。これまでに、自分の合気道は完成したとか、すべてを会得したとか等といって、修行を終了した人はなかったはずである。開祖植芝盛平翁でさえ、最後まで「まだまだ修行じゃ」「これからが修行じゃ」といわれていた。

修行とは終わりがなく延々と続くわけであるが、長く続けていけばよいということでもない。長く続けることは必要条件であるが、十分条件ではない。必要十分条件は、上達するように長く続けることである。

稽古に励んでいる門人は誰でも、上達したいと思っていることだろう。私は健康法でやっているので、うまくならなくてもいいです、という人がいるとしても、少しでも上達すればうれしいものだろう。全然上達しないのでは、稽古にも興味を失い、いづれ止めてしまうことになるのではないだろうか。

長く続けるためには、上達していかなければならない。しかし、上達するとはどういうことなのか、それが分からなければ上達できないだろう。

上達とは目標に近づく事である、と考える。だから、稽古・修行の目標がなければ、上達はないだろう。もちろん、稽古の目標、修行の目標は変わってもよいし、変わらざるを得ないものである。それも上達だろう。

例えば、はじめの内は、どんな受けも取れるようにする、どんな相手にも技がかかるようにする、どんな相手にも負けないようにする、等などである。

だが、上達すれば次第に、相手との一体化、宇宙の営み・条理・法則を発見して身につける、そして、宇宙との一体化、等などになっていくことだろう。

この例の場合、最終的な目標は「宇宙との一体化」であるから、その目標に一歩一歩近づくように稽古していくのが、上達につながるわけである。そのためには、その前段階の目標である「相手との一体化、宇宙の営み・条理・法則を発見し身につける」を会得していなければならないことになる。目標は、身近で小さいものから、段々遠く大きいものに変わっていくのである。

目標ができれば、それに向かって稽古をしていけばよい。最終目標に向かって、それに一歩でも近づくようにやっていくのである。

目標があれば、道ができる。目標と自分を結んでできるのが、自分が進む道である。この道の上を一歩でも先に進むことが、上達である。稽古は、この道から外れないように前へ進んでいくこと、ということになる。

前進するためには、基点があって、その基点を基に前へ進むことである。今日の稽古を基点とすると、基点の今日は明日への前進の基であるから、今日しっかり稽古しなければ、明日につながらないことになる。

同じように、今月の稽古をしっかりやって来月につなげ、今年が来年につながるようにしなければならない。

上達するには、今日は明日に、今月は来月に、今年は来年につながるように稽古していく、ということになるだろう。