合気道は相対で技をかけ合いながら稽古するが、どうしても相手を倒そう、倒さなければならない、と思って技をかけてしまう。そうすると、力に頼ることになる。そして、さらにその力に頼っていくことになる。
体力や腕力がつくうちは、どんどんつけていけばよい。ある程度の体力や腕力はなければならないと思う。しかし、年を取ってくると、自分の力の限界を感じてくると共に、技を力に頼る限界も知るようになる。
そう感じるようになったきっかけは、年齢もあるが、合気道の稽古は相手を倒すためにやっているのではない、ということが分かってくることである。技の練磨は相手を倒すのが目的ではない、ということである。これは、柔術や他の武道などと大きく違う点である。
しかし、技をかけて、相手が倒れなくてもよい、ということではない。技をかけたら、相手が倒れなければ、技が効いた事にはならないし、武道ではなくなってしまう。技をかけて、相手を倒すのではなく、相手が倒れるのである。このパラドックスを解くことこそ、力にだけ頼っては駄目だと、ということを覚らせてくれるはずである。
合気道の技は、技をかけたら、相手が自ら納得し、喜んで倒れるようになる、ということになる。
受けの相手の体を力で攻めると、相手は反発してくる。体力や腕力で勝っていれば、力でねじ伏せることもできるのだが、それでも相手は“おのれ小癪な、その内に倍返しをしてやるぞ”と思うだろう。これは、争いの基である。
相手の技に納得したり、反発したりするのは、心である。体がいじめられると、心が反発して、倒れないように体に指示するのである。
受けの相手が技をかけられて倒れるには、条件がある